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真冬の向日葵(ひまわり)完結編

ブログからの転載。
noteを書いていることは特にアナウンスしていないけれど、
こちらで読んでくださる方に、四十九日法要のご報告。

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母危篤の知らせを受け、翌朝の飛行機に飛び乗った。
いろんな感情が湧き上がり、全身の震えが止まらないのに、涙は出なかった。
 
父と姉家族、私と弟、従姉とその息子。
たった8人で最期のお見送りをした時、母の苦しそうな顔を見て、胸が痛んだ。
 
喪主の弟は、淡々と事務処理をしなければならないし、
彼と姉は、母が遺したたくさんの茶道具や着物を整理するために、
有給を返上して、倒れるまで動いてくれた。
 
私は、残された父の様子に後ろ髪を引かれながら、ニューヨークに戻った。
 
悲しみは、後から、後から、やってきて、
使い物にならない抜け殻だけの私が、日々を過ごした。
 
四十九日の法要も、弟が仕切ってくれた。
母が生前にお世話になった方、茶道教室のお弟子さんたちが、参列してくださった。
 
弟が締めの挨拶をした後に、おせっかい叔母が自著の宣伝をして一同引いたけれど、
大好きだった姉の最期を認めたくなかった、彼女なりのお別れだったのかもしれない。
 
仲良しのいとこたちと、母を偲ぶ会の席を共にした。
思い出話をたくさんして、泣いて、笑って、四十九日が明けた。
 
ニューヨークに戻った私は、再び悲しみに襲われた。
後から、後から、やってくるのだ。
 
気性の荒い父を前にして、抗うことなく、いつも静かに受け入れていた。
あまりに従順に従うことに、母の威厳を疑いそうにもなったこともあったけれど、
私も歳を重ねてから、両親双方の気持ちが理解できるようになった。
 
陽気で聡明かつ寡黙な母の生き方を、今からでも真似てみたいとつくづく思う。
糖尿病の影響で少しずつ認知症が進んでいた母は、練馬の家のことも忘れかけ、
孫や親戚の名前もあやふやだった。
「生まれ変わったら、もう一度あなたと結婚したい」と告げて逝ってしまった母のことを、
父はずっとずっと追いかけていくのだろう。

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「他界した命は、残された人の心で生き続ける。忘れるという文字のように、
心を亡くしてはなりません」という僧侶の説教に、従姉が思い出話を続ける。
仕事が重なり、茶道教室にあまり足を運べなくなった彼女に、私の母がそっと手紙を渡した。
「忙しいとは、心を亡くすこと。そういう時こそ、茶道の教えを心に置きなさい」と。
 
私は母から大切なことを学びきれなかった。
女性として、最大のお手本があんなにそばにいたはずなのに。
 
悲しみは、後から、後から、やってくる。
 
姉が用意してくれた真冬の向日葵を思い出し、今日もそっと涙を拭う。

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