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もうすぐ春ですね

道を歩いていたら木に白くて小さい花が咲いていた。なんだっけこれと思って、しばらく考えてやっと思い出した。桜だ。今年も桜が咲いていた。

唖然とした。そんな当たり前のことにも気づけなかった自分に対して。そういえば少し前に花見の誘いを頂いていた。でも3月は決算期で忙しい。土日も出勤することが当たり前になっていた。ここ数年、花見に行けたことがない。桜が咲くことすら忘れていた。

今年は花粉がすごい。花粉症の時期が始まったとたん、目鼻がむくんで「こんな顔だったっけ?」と同僚に心配された。鼻の奥にビー玉が詰まっている感覚がずっと続く。むくみのせいか目の上の皺が取れない。クリームを塗ってもオイルを塗ってもその深い皺がとれない。母は目のくぼんだ人で、二重どころか三重まぶたの人だが、それに近くなった気がする。

髪も最近はバサバサだ。美容院にも行けてないというのもあるが、髪のボリュームが減ったうえにまとまりがなくなった。コンディショナーには気をつかってはいるのに。ジョバンニのヘアミストだって振りかけているのに。ヘアカラーとドライヤーのダメージで20代の頃の髪の艶はどっかにいってしまった。

マッサージや整体にいっても、次の日には凝りが復活し、あれだけシャープだった身体も全体的に丸くなってる気がする。そして疲れは永遠にたまり続ける。
一晩サウナにいったところで帳消しにはできない。あれだけ履きこなしていたヒールが今はとても重い。

歳をとるってこういうことなんだと思う。疲れ切った夜に誰かに思い切り甘えたいなと思うけど、甘えられるのは億劫で仕方ない。でも見返りを求めない男なんていない。だから後腐れのないセックスばかり求めてしまうが、それが叶うのはあと何年までなのだろうと不安になる。

仕事と恋を天秤にかけて仕事を選んだわけではない。むしろ仕事はできる方ではなかった。処理は遅いし、ミスも目立っていた。ただ、根性があれば乗り切れる部分もあった。男たちに怒鳴られても決して泣いたりせず、地道に作業を進める。そうすればいつか仕事は終わる。それが救いだった。そんな風に根性で乗り切ってるうちにいつの間にか慣れてこなせるようになっただけだった。

恋愛は積極的にしたはずだ。でも結局上手くは行かなかった。趣味が合う合わない、タイミングが合う合わない、セックスが合う合わない、結婚願望があるない。その微妙なズレが重なり、いつか歪みを招いて最終的には決壊してしまう。気が付けば30を過ぎ、そして何も残っていなかった。運が悪かった。それだけだ。

でも生まれ故郷の狭いコミュニティの中で社会を形成していくのには抵抗があった。例えば同級生の麻美みたいに高校時代に入ったバイト先のファミレスの店長と恋愛をして、卒業と同時に妊娠、出産。子供を旦那の親に預けてショッピングモールでバイトする。そんな人生はまっぴらだと思っていた。

でもそれが正しかったのかもしれないとふと思うことがある。きっと「東京」にこだわり続けるには歳をとりすぎたんだと思う。
寂しさは女を弱くする。昔は違った。若いころは寂しさが女を強くした。でも今はただ寂しさが重い。歳をとるってきっとこういうことなのだと思う。

デスクで「もうすぐ春ですねえ」と鼻歌を歌う。そんな歌を歌ったところで恋なんてできやしないのはわかってるのに。でも明るい歌は好きだ。ほんの少しだけ慰みになる。

「もうすぐ春ですねえ」
呪うようにさえずる。あたしたちの鎮魂歌を。年増の女上司が怪訝そうな顔でこっちを見てる。それでもあたしは笑みをこぼしながら歌う。

もうすぐ春ですねえ。

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