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村上隆を「嫌い」と言うことで、「良きアートファン」の顔する人が多いのが問題じゃね?

村上隆のことを「嫌い」「俺は認めない」などと言っておけば、アートがわかったような、「良識ある」アート好きであるかのような格好がつく、そんな空気はある。
私も漫然とその空気の中にいた。

自分の展覧会の開会挨拶でカネの話に終始する、そして「ワタシは世界で評価されているのに、日本では嫌われている」と、面白くないネタを繰り返す村上さんも村上さんだが、ワタシには、村上さんにそう言わせている「空気」の方が大問題なのではないかと思えてきた。

村上さんがデビュー期に大阪の鶴橋のラブホテル屋上で展示とプレゼンをしていたのを見たことがある。今のように堂々とふるまえる村上さんではなくて、不器用なのにもがいてつんのめってる兄ちゃんという印象だった。それを覚えているから、ここまでの成功に尋常じゃない根性仕事があっただろうことがリアルに想像できて、簡単に「嫌い」とはワタシは言えないし、「嫌い」一色の「空気」のなかで、居心地は良くなかった。

村上さんは、自分が嫌われる原因は「カネの話」だとおっしゃるが、そうだろうか。カネの話をしても嫌われないビジネス系の媒体に、あえてそこのところをフォーカスして書いてみた。

この原稿、書き始めたときの気持ちと真逆の方向に着地したので、自分でも驚いた。とにかく、「村上は嫌い」と言っとけばいいや的な多勢の「空気」を脱出することができた。たとえるなら、大勢の人に揉まれながら河岸で見ている花火を、川に飛び込んで自力で泳いで、対岸から見たような。
せいせいした。
自分は同じ方向からものを見てる多くの人の「空気」のなかで酸欠になっていたのだ。これでは自分なりの判断はできない。こんな状態で記事を書いても、何になるというのか。

「世界に認められるぞ」「スタジオ制作で作品を作りまくるぞ」、「歴史に名を残すぞ」「日本はダメだー!」と臆面なく大声をだすアーティストは日本のアートの世界でマイノリティというか、村上さんだけだ。それを居心地悪い空気で包囲しようとするのなら、「アートで大切なのは、多様性」などとは言っちゃいけない。

村上さんがつねづねあげつらう、日本のアート界のダメなところは、西洋の価値観をコピーするだけ、(実際は権力とカネがドロドロの世界なのに)アーティストや芸大生に「清く貧しく美しく」を強要する、出る釘は打つ。

そんな、昭和のまんまの価値観は、実は日本の文化芸術界全体を腐らせている(芸能や工芸界に村上さんがいないと言うだけの話だ)。そこに昭和のシャカリキ社長的な価値観を叫ぶ村上さんが、正面衝突して火花が上がってる。

対岸から見た「花火」はそんなふうに見えた。
そこそこ派手な花火だが、しかし、もっと楽しくなれないものか。


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