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池内美絵展 「汚物」を荘厳する

京都新聞 2021年10月16日掲載

紙のコサージュと、それを実物大より大きく引き伸ばした写真が展示されている。花びらには印刷された文字が見え、文字列から、素材となった紙が「あいちトリエンナーレ」に関連した抗議ビラであったことが伺える。

2019年秋、池内は尾道の離島、百島でのグループ展『百代の過客』に参加したが、天皇や戦争を題材にした他の作家の出品作品が「あいトレ」に重なるところがあったため、何者かが抗議ビラを、池内の作品の場所に置いていった。コサージュはそのビラで制作された。

 池内は政治や思想的なメッセージとは無縁に活動してきた作家で、観客から反発を引き起こすことは意図していない。しかしながら、池内の作品はそれを知る人の間で「ヤバい」という評判があり、また、抗議主の怒りをたきつけた。それは、池内が自分やペット、恋人の排泄物を素材にしていることで「常識はずれ」、「不敬」と解釈されてしまうからだ。

 池内は、咀嚼、消化、排泄という生き物の生理に強い関心を持ち続けて制作してきた。多くの人が手を触れようとしないものを素材にしながら、作品は宝石か高級な菓子のように心を引く姿であることが、観る人を混乱させる。池内の世界観は、左の反対に右があり、清潔か不潔かでものが分断される世間とは異なるもので、そこで生まれた作品は、世間にとって「異物」扱いだ。

 池内は、自分の世界への闖入(ちんにゅう)者の残したチラシを、裏打ちを施し、気品のあるリバティプリントの台座に載せた作品とした。その花は、抗議主が思想の拠り所として振りかざす菊だ。汚物のようなチラシを咀嚼し、再び排泄したかのようなその過程には、抗議者がチラシを作ったよりも長い時間と思いが込められ、菊は、威厳を持って美しく咲いている。

「あいトレ」騒動の際、出品作家たちが、「議論の前に、作品を実際に観てほしい」と呼びかけていた。観ることで感じる、見せることで語る。アートの醍醐味である言葉を超えた交流は、この展示からも感じられる。 (KUNSTARZT=三条通神宮道東入ル、17日まで)

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