見出し画像

舞妓の命だって大事だ


リンクしたのは、デイリー新潮さんの2本の記事。舞妓がコロナ感染したことと、市長がそれを知っていて公表しなかったという事を伝えている。

写真は、京都でのBLMマーチに参加した時のもの。実はこの日、私は、大阪では感じなかった居心地の悪さで、超もやもやしていた。祇園の舞妓のコロナ感染が隠蔽されていたというこの報道に、その時のもやもやがリンクした。

BLMマーチで「黒人の命も大切だ」と訴えて歩きながら、心の中では、京都に根深い人権問題がいろいろあることをずっと考えていた。全国津々浦々、どこにでもあろうが、それがこの街では「伝統」という名のもので、堂々と棚上げ&隠蔽されている。

報道によると、最初「感染者は無職の十代の女性」と報じられていた。舞妓は労働者ではなく、「修業中」とされ「お礼奉公」という名のもと、無給で(お小遣いはもらえるそうだ)夜の酒席で働いている。今回、その労働環境(?)が、感染の危険から守られず、ノーとも言えないものであったことが明らかになってしまった。これを「伝統」で正当化は、さすがにキビしい。

日頃、京都を紹介する原稿を書くなかで、適当に「伝統」と書き散らかすたびに、自分もその悪弊のなかで不自由な思いをしている誰かの問題を、棚上げ&隠蔽している側の一人であるのだろう、ともやもやする。私がマーチで叫ぶべきは、「舞妓の命も大切だ」「伝統よりも命を守れ」だったのだ。

「世界に誇る祇園ブランド」というが、カメラを提げてやってくる外国人が、エロチックファンタジーとしての「ゲイシャ」と、前近代的な慣習に奇異のまなざしを注いでいる事には、皆うすうす気づいているだろう。英文のリーフレットに、舞妓のことを「living flower」と書いてあるのを見て「こんな風に女性をモノ扱いにした表現、あなたは平気なんですか?」と、顔をしかめた女性客(ポーランド人)もいた。

もし、舞妓がマスクをつけて自分の身を守りながら仕事をしている(感染から守られながら仕事をする事ができている)姿が拡散したら、エロティックイメージでも生きている花でもない、働く女性、芸能者としての「芸者=パフォーマー」である舞妓、芸妓のイメージを世界にアピールできたのではないか?

アメリカではコロナが人種差別の問題を押し出した。京都ではコロナが「伝統」だといいながら人命軽視もまかり通る構造を明るみに出したのではないか。

何か改善の動きがある事を望む。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?