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今貂子の「彗星」鑑賞の手引き〜舞踏は「命がけで突っ立った死体」でなくていい

「舞踏とは、命がけで突っ立った死体である」
これは舞踏の創始者・土方巽(1928―1986)の、超シビレる言葉だ。
発言があった60年代、これは芸能者として衝撃的な発言だった。
でもいま、今貂子は言う。(以下、貂子さんで失礼します)
「舞踏とは、命がけで突っ立ってる肉体、でいいんじゃないのかな」。
もちろん、貂子さんは、舞踏家として土方巽の功績は最大限にリスペクトしている。
「土方さんは革命的な芸術家だった。1960年代当時、ダンスっていうと、若いダンサーが綺麗な踊りをするものって思われているところに、そうじゃないものを舞踏で出したっていうのが、画期的だった。そして日本発の芸術表現として海外にも広まった」。
貂子さんは白虎社を経て舞踏カンパニー倚羅座を主宰。2020年には舞踏家として初めて文化庁芸術祭優秀賞を受賞した。40年以上「命がけで突っ立つ肉体」としてサバイブした。

尾をひいた姿で天空に浮かぶ彗星=ほうきぼしは、氷や塵でできた太陽系小天体。彗星の中には凍りついた核があり、その周りを覆うガス雲はコマ=髪とよばれている。
彗星は、数十年の周期であらわれ、その出現は古くから凶事の兆しといわれていた。
「舞踏に出会ったとき、『彗星がやってきた』気がした。彗星が遠くに行ってしまう前に、飛び乗るしかない。しっぽでもいいから、振り落とされないように掴み続けようと思った。今は、『みんな、この彗星に乗って』という気持ち」。
彗星と出会ったとき、「凶事の兆し」という謂れから解放されて、その美しさ不思議さに心を開くことができるか。舞踏と聞くとイメージされる「突っ立った死体」、60年代の異端のアートという既成概念。そこから解放されて、今と未来の舞踏に出会えるか。

貂子さんの舞台を見た女性客は、アンケートに、こんな言葉を書いている。
「静止しているときにさえ、呼吸やたたずまいからパワーを感じました。今の逆風に強く立ち向かって、すすみ続けてほしいです」
「ウズメが九州にいき、サルタヒコと道ではじめて出会うとき、胸をはだけて出会う。その話を聞いた時、人が出会う時、予備知識はない。そんなことを考えました。
彗星の尻尾をつかんで、この43年の時間、宇宙を一周してきた。その彗星が、再びやってくる。「時が満ちた」と、いう気がするんです」。

白虎社の頃、主宰の大須賀勇は、貂子さんを、「最後にわらう女」と看破した。生きて立ち続けた肉体に、いま、彗星に導かれて踊ってきた魂が満ちている。予備知識はいらない。心をはだけて、その身体に出会って欲しい。

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