培養肉に「嫌悪感しかない」。その食テック拒絶、“モラルパニック”に似てないか?
「あまから手帖」で、ミシュランシェフと組んで培養肉を手がける「ダイバースファーム」のことを紹介したのが、2年前。
読み返すと当時の興奮と、おっかなびっくりぶりが懐かしい。シャーレから出したてのドロっとした培養「鶏肉」に目が釘付けになったが、ほんのチョット目を離しているスキに、培養肉は巨額の投資を集める超成長産業になっていた。開発レースのトップを走るアメリカのアップサイドフード(旧メンフィスミーツ)は、2020年、1億8600万ドルの資金調達に成功している。コロナ禍を経て、産業全体への投資額も爆増している。
国内では、日清が、培養肉研究をスタートさせていることを公表したことが大きな話題だ。日清といえば、アメリカの韓国系のスターシェフ、デーヴィッド・チャンのレストラン「MOMOHUKU」は2016年、アメリカで初めて、ビヨンドミート社の人工肉バーガーをメニューに乗せている。カップヌードルをつくった日清の創始者・安藤百福のイノベーション精神を仰ぐ者ならば、21世紀最大の食イノベーション、アニマルフリー肉・サスティナブルミートでその開拓精神を受け継ぎたいはずだ。これはインスタントヌードル同様、大衆に安く、早く、おいしいを叶えるかもしれない有望な技術だ。
2022年3月にはNHKがこの日進ホールディングと東大のの研究と実食をレポート。メディアの扱いにも、もう「フランケンシュタイン肉」とは言わせない熱さがある。
バッシングは注目度の裏付けでもある。芸能人も、ヘイトが出てこそ一人前の人気者ではあるが、未知の食テックへの不安や恐怖感をあおる論調が出てきたことは、培養肉の存在感がいよいよ無視できなくなってきたことの証拠だ。
見慣れない技術を「一つ許せば、地獄への道が開く」のか?
堤未果「ルポ 食が壊れる 私たちは何を食べさせられるのか?」(文春新書) は、「食テックは少数の巨大企業が食品生産の権利を独占するデストピアへの道」という勢い一本で書かれている。
以前、取材したことのある、ゲノム編集の魚に取り組むリージョナルフィッシュも槍玉に上がっているのだが、同社が使っている技術は遺伝子組み換えではなくノックアウトというもので、自然の中でも起こりうる現象を人工的に生み出すものだ。この本ではその仕組みの違いや、同社が厳重におこなっている環境へのセキュリティ対策にはほとんど触れず、いや、むしろ違いはどうでもよくて、「不自然」な遺伝子操作された食品を受け入れてしまったら、食がマネーゲームや悪魔の技術に支配される流れを許してしまう!食の文明史的な危機が迫っている!というような、ドミノ文脈のひとコマにされている。
大きな不安の流れの中に人の気持ちを巻き込んで、意図的に個々の事例の良し悪しをちゃんと見ることをしないような言葉は、それ自体危険だと思う。
「LGBTコミュニティを容認することは、性犯罪を合法化する道へつながっている」と主張するアメリカの保守派の陰謀論と似てないか? 同性愛を「ふつう」だと受け入れたら、小児性愛も容認される流れができてしまう、と。一体、この人たちはなにを怖がっているのだろうか?
根底にあるのは、今までの価値観が変わることへの恐怖感、抵抗感に見える。わかりますよ。私もシャーレから出てきた肉には、正直、ビビりましたから。
食とテクノロジーの交差点には恐怖がある
「サスティナブル・フード革命」の著者アマンダ・リトルは「食とテクノロジーの交差点には恐怖がある、多くの人に土地回帰の願望がある」と言う。
「食が壊れる」も、さんざん先進技術への恐怖を煽った後で、「水田という生命体は日本人の精神の礎」「世界一のスーパー土壌を持つ日本」と、読者が願望する「土への回帰」へ導くことで(「日本推し」で抜け目なく保守派をくすぐるサービス付き)、それまで見てきたフードテックの「地獄」からの救済を与えている。
この本売れるわ。
まだ見ぬ食テックが開く未来の食卓が地獄なのか天国なのか、いま私たちが「交差点の恐怖」の只中にいるとしたら、少なくともそこから目を逸らすのはよろしくない。四方からクルマが突進してくるのだから。そのなかで丸腰の歩行者や、地味に平和に走行している自転車のような研究や発見に安全な道をゆずらないといけない。
今と未来から目を逸らす自由もある。世の多くの人はストレスの多い毎日を生きている。食はただ「癒し」であってほしいと願う気持ちもよくわかる。しかし、目を逸らした先に見ている「いつかあった懐かしい食の風景」が、本当にあったものなのかは、疑わしい。そこで皆が幸せで平等で健康で満ち足りていたのかは、もっと疑わしい。
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