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竹内栖鳳の破壊と、後輩画家たちの青春

 「竹内栖鳳 破壊と創生のエネルギー」京都市京セラ美術館 
「京都画壇の青春展」 京都国立近代美術館で12月10日まで

※レギュラー出演しているNHKラジオワイド関西文化情報(2023年11月28日放送)の読み原稿をリライトしました

江戸時代、京都には、円山応挙を元祖とする円山派をはじめ、多くの個性的な画家たちが人気を博していました。それが、明治時代になりますと、西洋の文化「西洋画」が紹介され、日本の絵は「日本画」という新しいカテゴリーを打ち立てないといけなくなります。さらに、首都が東京に移りました。国が主催する文部省美術展覧会(文展)という大きな展覧会が、絵の優劣を決めるという時代になります。見る場所も床の間ではなく展覧会。そんな状況の中で、これまでの京都の絵というものが、どうも時代遅れに見えてくるわけです。

西洋画に対して、東京に対しても、新しい時代に相応しい絵を見せないといけない。そう奮起したのが、明治時代の京都の画家たちだったんですね。

京都画壇改革のリーダー的な存在が、竹内栖鳳(せいほう 1864―1942)でした。栖鳳は、ヨーロッパに勉強に行き、西洋画を取り入れて描いたり、それまでの時代には絵のテーマにしなかった日常の風景を描いたりもしました。絵の修業といえば古い絵をお手本として写すことだったのを、実物を見て描く「写生」を重視することで、生き生きした動物や人間の一瞬の動きを描きました。獅子の絵は明らかに油絵のような立体感があります。

あえて金屏風に油絵みたいな獅子。ビザールだが心意気やよし
まわりが評価に困ったであろう、ゆる画。これも栖鳳


いかに栖鳳が古い時代の絵の常識を次々に破壊して、すごい力量で新時代の京都画壇を変革して行ったかを130点のボリュームで見せてくれます。

新鮮!意外となかった、「年齢しばり」の美術展


その向かいの京都国立近代美術館で、この栖鳳先生の改革に負けじと挑戦した、後輩画家たち作品を紹介しています。「京都画壇の青春展」 です。

今では美術の教科書にのっているような画伯たちの青春、若き日の挑戦にスポットライトを当てる「年齢縛り」の展覧会。これ、意外になかった視点だなと思います。彼らの青春の悩みは、西洋画にどうやったら勝てるのか。いかに京都の画家として、新時代の絵を表現するか、でした。もっと個性的に、もっと重厚に、もっと誰も見たことのない絵を。そんな気合で突っ走った。勢いあまって、時には「やりすぎ感」も作品にほとばしっているのが見どころです。

西洋画に寄りすぎた青春。ロックウェル、ゴーギャンに似た作品


まずは、土田麦僊(つちだばくせん 1887―1936)「罰」。やんちゃな子供がおしおきされている場面です。花鳥風月、花や鳥、風景などを描いてきたそれまでの絵とは違いますね。アメリカの画家、ノーマン・ロックウェルを思い出しました。

おなじく麦僊の「海女」は、大きな屏風に、上半身裸の海の海女さんが何人もくつろいでいます。これ、西洋画にお詳しい方なら、ポールゴーギャンに影響を受けたのが感じられるとおもいます。描き方も西洋画に迫ろうとしました。絵の具を厚塗りしたり、削ったりして、剥がれている部分があります。

ゴーギャンそっくり。麦僊の「海女」

「年齢縛り」のこの展覧会、面白い仕掛けとして、作品解説のキャプションに、作品をを描いた年齢が表記されているんです。

ちなみに、土田麦僊が子供の絵を描いたのは21歳、油絵に対抗して厚塗りの海女の絵を描いたのは26歳です。

いかがでしょう?みなさん。21歳、26歳の時に、なにをしていました?「この年齢だから、こうでないと」とは思いませんが、そんな若さの画家たちが、絵画の世界を変えようと奮闘していたと思うと、絵の具が割れていても、いいじゃないかと思えてきます。

100年早かった岡本神草のサブカル✖️アート、稲垣仲静のゴス系美人画

青春の画家たちのもう一つの挑戦が、古典的でない新しい女性像を描くことだった。「きれいなだけじゃだめだ。見たことのない女性像を」と意気込んだ。それの一例が、岡本神草(しんそう)「口紅」。

ゴス系の作品展に出したら普通にウケそうなセンス

煌びやかな着物から首がにょろっとのびていて、漫画のキャラのように人間離れして退廃的な雰囲気です。この作品、京都市立芸術大学の卒業制作。24歳の時にこれを描いている。神草、実は竹久夢二の絵を日本画風に描こうとしたこともあり、サブカルチャーをアートに取り入れる、というような今どきの美大生の作品の、元祖だったかもしれません。

同じく、おどろおどろしい退廃的なのは、稲垣仲静(ちゅうせい)の「太夫」。これは22歳ごろの作品。
つねづねデロリ画家については「女に対して屈折した感情でもあるのか?」と気分の悪い思いをしていたが、22歳なんだから屈折ざかりだ。若い男が女性に暗いファンタジーを抱く、デロリは大正時代のゴスではないか?
どんどんやってくれい、という気持ちになった。

デロってます。描かれた当時は相当クールだったのではないか


徳岡神泉「狂女」。「美人画の対極を、とことんやってみたい」青年画家の気持ちもわかる。でもここまでやらなくていい。

23歳ごろの作品


さて、青春はひと時のもので、終わりがあります。

展覧会は4つの章があって、最後の章では、若き画家たちが大人になってゆく過程を見ます。

ここに展示されているのが、土田麦僊《舞妓林泉》。絵の具を塗りたくって西洋画に挑戦した「海女」から11年後の作品です。えらい違いです。

背景の描き込みはイタリアルネサンスの宗教画に影響されたとの説

この間、バクセン青年は、ヨーロッパで西洋画の名画を見ます。その結果、もう西洋の絵画に憧れたり戦ったりするのではなく、日本の伝統を見直そうという気持ちになった。そして伝統的な絵のテーマである舞妓を描いています。でも背景は色彩でびっしり埋め尽くすという西洋の絵画の描き方も使っています。
青春期を終えた画家たちは、古いとバカにしていた古典を見直しながら、フェーズの違う挑戦を始めました。

「日本画」というと、花や自然を描いたおとなしい作品を思い浮かべるかもしれないのですが、時代の変わり目には、青春のほろ苦い挑戦と挫折があった。昔、青春だった人、いままさに青春な人、ともに、京都画壇の画家たちがぐっと身近に感じられる展覧会です。

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