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理系アーティストはARで水を得た魚になる。「初代諏訪蘇山 没後100年記念展」

妙心寺大雄院で開催された「初代諏訪蘇山 没後100年記念展」 。帝室技芸員を務め、明治の陶芸を代表する蘇山の作品の紹介だけではない。「初代蘇山の遺した石膏型を次代へ」とサブタイトルにあるように、京都工芸繊維大学KYOTO Design Lab (D - lab)が、遺された蘇山の石膏型を三次元測定したデータに基づいて欠損部分も復元再生するデジタル補修し、蘇山の“作りたて”の形状に再生させた。その再制作作品も展示されている。これは、「D - lab」が2019年に始めた「初代 諏訪蘇山アーカイブ化プロジェクト」の成果発表も兼ねている。

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修復された鯉の作品の石膏型の添えられたQRコードを読み取ると、自分のスマホの中に泳ぎ出した。AR(拡張現実)を使った仕掛けだ。

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修復というのは元来とても創造的な作業だ。手でおこなう装潢(そうこう)修理技術も、スキャナやデータ、数値が主導する「D - lab」の修復過程も、そこにはおなじ創造性が働いている。このAR動画は、修復のターゲットが蘇山のイメージの中で泳いでいた魚のヴィジョンの再現であることが見える化されている。きっと作業中の装潢師の想像の中にもそれがあるはず。絵筆を持たない理系の技術者の絵心は、ARで水を得た魚になった。

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「工芸×テクノロジー」とか「デジタルと匠の技の融合」と“先端と古めかしいもの”のギャップを面白がる見方(最近流行り)は、先人に大変申し訳ないことだと常々思っている。蘇山は、明治初期にヨーロッパから日本に伝わった石膏型を用いた成形技術で、匠の技をプロダクトに近づけた。これは当時ハイテク最先端であったはず。それは「古めかしい」のではなく、われわれが戦後に押し寄せた新しい価値や技術に気を取られて、勝手に博物館の隅に追いやってきただけのこと。それに対して、ちゃんと振り返りを持たないと、デジタルテクノロジーを手にしてドヤ顔のまま、またどこか道に迷ってしまう。戦後、工芸が迷ってしまったように。

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代々蘇山の作品を用いた中国茶会に参加させていただいた。薄作りの茶杯にほんのり浮かび上がる桔梗の線刻。繊細さに鳥肌が立つ。(写真がまんじゅうですいません)近代というあわただしい時代で、新しい技術に挑みながらこうした雅趣も伝えたことも、現代の工芸家にはない大きなスケールとして、改めて振り返りを持ちたい。

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会場となった妙心寺大雄院は、柴田是真の襖絵が描かれたことで知られる。先日、襖絵への修復プロジェクトが完成し、鮮やかな花の丸襖絵も鑑賞できた。是真の異様なテンションの作品を見るたび、明治という時代の葛藤の激しさが迫ってくるような気がして心臓がバクバクするのだが、この花の丸襖絵は、初代蘇山の典雅さと響き合っていた。

明治を葛藤の時代と決めつけるのも、よろしくないわな。




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