見出し画像

ヴィトンやディズニーをアートにするには「消される」覚悟が必要か?美術手帖「表現の自由」とは何か? 岡本光博の問い。

「みなさん、悪い想像力が本当に豊かで」(岡本光博)

美術手帖 2020年4月号「表現の自由とは何か」特集で、岡本光博さんのインタビューを担当した。

岡本さんは、ヴィトンやディズニー、ドラえもん、日清やきそばUFOのパッケージなど、いかにも「ヤバい」素材を作品にし、また企画展をキュレーションもするアーティスト。あいちトリエンナーレ2019の出品作家でもある。モノグラムのバッグの生地をつかった「バッタもの」という立体作品で、ルイ・ヴィトンから脅しを受けた武勇伝がある。

さてこのたった5行にある「ヤバい」素材、「武勇伝」、という書き方に、読者の同調をさそうような私の偏見があらわれている。それは、⑴商標をアートに使うと、身に危険が及ぶかもしれない、⑵このアーティストは、功名心から、作品で商標権侵害に出た。 

これ、いずれも豊かな「悪い想像力」から発している。ぜひインタビュー記事を読んでほしいのだが、お話を聞いてわかったことは、物議を醸した岡本さんの一連の作品は、「ヤバさを狙って」素材にしたのでもないし、招いた結果を「武勇」だとも思っていない。

アーティストは、疑問や感情に動かされて創造をする。岡本さんは目の前にある社会の「おかしさ」にたいして、一アーティストとして(そして教育者として)、疑問を投げかけることをやめることができない。そこでとられる手法は、(横文字ではなく日本語の)言葉遊びと、スピリチュアルな要素をからめて、ユーモアを添えて作品の形にする。その過程で「タブー」とされていることに触れたとしても、岡本さんは「それを譲ることができない」という。当然ながら、人が心から好きな事をする時、駆け引きも忖度もない。

著作権管理で厳しい事で知られるディズニーをテーマにした展覧会を開催したのは「(教えている美術系大学の)学生たちに、生まれた時からまわりにあるキャラクターを、危ないから触れてはいけないなんて、一教育者として言えなかった」。「消される」と、いう人もいたが、ディズニー美術展は、当のディズニーからは好感を持って受け入れられた。

「現物を見てもらうことが、何より大事」。人は、聞きかじった情報から「悪い想像力を豊かにする」ことが、どんどん得意になっている。アートを作る人も、見る人も、戦うべきは、自己検閲につながる「悪い想像力」だ。それに対抗できるのは、理屈ではなく作品の力、観客への信頼だろう。

ヴィトンの一件からは、岡本さんが、高級ブランドに象徴される、消費社会や格差に対して攻撃のポーズをとっているように見えるかもしれないが、実はそれも、「アートにかかわる人はリベラルで、インテリなので、高級ブランド消費を嘲笑しているにちがいない」という「悪い想像力」だ。実は、私もその「悪い想像力」をふくらませていた。この悪い想像力にとりつかれているままでは、岡本さんの作品の本当のドス黒さ(という味)は見えてこない。

岡本さんは「ブランドビジネスは、敵とは思っていなくて、とても尊敬している」と言う。作品の狙いには、言葉遊びによるイメージの占有があるという。どういうことか。

「バッタもん、ドザエもん、覆面パトカーなどの「ことば」は世の中に存在しますよね。それを、敢えてどこまで自分の作品イメージが占有できるかと言うことを考えて、挑戦をずっとやっている。今のネット社会で《バッタもん》で検索して自分のイメージがバーっと出て来たら勝ちですね。そういう、社会においてイメージが明確でないスラングな言葉であっても、そのイメージを自分の作品が占有したら面白いし、社会に投げかける価値があると思ってやっている。言葉もそうですね。言葉遊びとして面白いですし。構造として(参照されているものと参照するものが)逆になるじゃないですか。

「言葉のイメージの占有/逆転」、これは、ブランドビジネスが大金をかけてやる情報操作のことでもある。それを、アートがゲリラ的にやれるかもしれない、岡本さんがもくろんでいるのは、そんな挑戦かもしれない。正義とか道理とかのために、アートなんかやってられますかいな。と岡本さんがつぶやいているかどうか、これも「悪い想像力」だろうか。

4月4日から、ギャラリーeitoeikoの企画展「桜を見る会」に出品、とのこと。、、、、やばい?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?