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1600km離れた場所から届いた、突然の愛に報いるということ

最後にいつ雨が降ったか忘れたくらい、東京は爽やかな冬晴れが続いている。新年って雨降らないように出来ているのかな、それにしたって私の成人式の日超大雪で、雪に不慣れな東京はわちゃわちゃして、通りすがりの人にこんな日にかわいそうにって100回くらい言われたんだっけな。

そんな天気とは打って変わって私の思考はダウナーだ。喜怒哀楽という4つの言葉だけでこの世の感情がカテゴライズできないことなんて、私たちはとっくの昔から知っている。嬉しいと悲しい、楽しいと嬉しい、ムカつくと悲しいがハーフアンドハーフで一気に押し寄せてきて、胃もたれすることもあれば、ごめんなさいと言いながら心の中で喜んだり、極論だが死ねと思いながらありがとうございますと言ったりする。これは上級者向けのテクニックだが。

こんな憂鬱な気持ちの時はひたすらに眠っている。いっそ眠って一瞬この世から消えてしまおうと。iPhoneのバイブレーションがなって目が覚める。そうだ、おやすみモードにしていなかったんだっけな、と思いながら寝ぼけ眼で待ち受け画面を見ると、伯母からのLINEが届いていたのだった。

私はその文章を見てえんえんと声を出して子供みたいに泣いた。あまりにも嬉しくて嬉しくて嬉しくて、嬉しいと嬉しいのハーフアンドハーフなお気持ちなのに、涙が止まらない。この気持ちは喜怒哀楽のどれにあてはまるものなんだろう。水道の蛇口をひねったかのように一瞬にして涙が出てきて止まらなくなった。この世の嬉しいという言葉では言い表せられないくらいの愛を、私は直線距離1600km、沖縄に住む伯母から受け取った。


2022年11月、私は伯母に初めて会った。母の兄の奥さん。指定された個室の懐石料理屋さんに少し早く到着した私は、ひどく緊張していたが、お店に到着した伯母が「ハーイ!ミカコちゃん、会いたかったよー」と抱きついてきてくれて私は一瞬にして緊張が吹っ飛び、意地悪な人だったらどうしようと前の日から抱えていたドキドキは杞憂だったほっと胸を撫で下ろし、ついでに大好きになってしまったのだった。

伯母は持家のマンションにほぼ帰宅しないほど出張が多い仕事熱心な方で、3姉妹の長女。姉妹の中で唯一、数年前伯父と結婚するまで未婚だったそうだ。沖縄という土地で長子が未婚だということがどれだけ大変だったのか、私はあえて聞かなかったけれど、きっとずっと苦労してきたのだとそう思う。全て自分の力で手に入れたいい暮らし、いい車。おまけにとっても綺麗でご機嫌な人。それなのに結婚していないというただそれだけでどこか問題がある人のように捉えられるのは狂ってる。

「ミカコちゃんがね、この特殊な家族の前であえてああやって、気を遣ってすり減ってくれているの私も長女だから知っているよ、自分の気持ちに素直にね、疲れた時はiPhoneだけ持って沖縄においで、それでいいんだから、人生なんて」

昨日の伯母のLINEを何度も何度も読み返しては、涙が止まらなくなる。


今日は発達障害の通院の日。薬局で薬をもらうために待っていた時のこと。
名前を呼ばれ薬を受け取ろうとすると、薬剤師さんが声をかけてきてドキッとする。

「今飲んでいるお薬多いね、大丈夫?」

ピルの他に、重度のスギ花粉症なので、すでに飲み始めているアレルギー薬、そして発達障害の薬と睡眠薬。なんだか薬を飲むことに追われている毎日だ。

薬剤師さんは私がADHDの薬を処方されているから、この量の薬をそれぞれ違う時間に飲まなければならないことを心配してくれたのだと思う。

別にサラッと薬を渡してお金をもらったってお給料はかわらないし、むしろその方が薬局の回転率的にもいいだろう。それなのに見ず知らずの私に優しくしてくれる、その心遣いとプロフェッショナリズムにグッときてしまった。涙をこらえるのに必死だったから、細かいことは全部忘れたけれど、薬を渡すだけじゃなく、ありったけの愛を私にくれた。

表参道の有名なパン屋の前にあるその薬局の前でまた私はわんわん泣いた。平日のパン屋の行列にならぶ、何の仕事をしているのかわからない人たち(自分も然り)がギョッとしながらこちらを見つめていたような気がしたけれど、そんなことはどうでも良かった。

人はね、誰かに愛されたら、その愛に報いるだけの生き方をしなくちゃいけないのよ
綿菓子/江國香織

この言葉がずっと昨日から頭の中をぐるぐるしている。いつだってそうだ、人生を諦めそうになった時ふと誰かがやさしい言葉をくれる。それで生きてきたんだった。あーあ、また生きなきゃね。今年の目標「生きる」その通りに事が進んでいてある意味すごい。

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