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HSC(Highly Sensitive Child)の存在を初めて知った日


【回想録】

付き添い登園は卒業できたものの、年が明けても息子の不安定さは継続中で、幼稚園に行き渋ることも多々あった。


園に着くと、必ず園長先生のところに寄り、「今日の僕の見守り先生はいる?」と確認し、園長先生が「ちゃんといますよ」と息子の手を握ってくれる。(この確認作業は、卒園するまで続いた)

安心した息子は、私と一緒に教室に向かう。

しかし、見守り先生が来てくれたとしても、教室に入らず、なかなか私から離れない。
私が「ここで見ててあげるから、朝のお支度しておいで」と言っても、首を振って入ろうとしない。

他の子供たちが「行ってきまーす!」と母親と別れ、次々に教室に入っていく中、いつまでも息子は教室前の下駄箱のところで私の手を離さずにいた。

気がづくと、周りには誰もいなくなり、中で朝の歌が始まってしまうこともあった。

みんなが簡単に飛び越える教室の入り口を、息子はなかなかまたぐことができない。
教室と、母がいる外との境界線を越えるには、とてつもない勇気と時間が息子には必要だった。

離れるとき、「行かないで」と泣くこともあった。

「行かないで」と私の手を握る息子の手を離すのは、毎朝心が痛んだ。


幼稚園生活では、無理やり教室に連れていくことはせず、息子の気持ち優先で過ごさせてもらった。
みんなが教室で過ごす中、息子はずっと先生と園庭で虫をとったり、草花を集めたりしていた。
園長先生のそばでずっと工作していることもあった。
教室の明かりが眩しいし騒がしいからと廊下に机を置き、そこでひとり絵を描いたりしていた。
英語や体操の時間もほとんど参加しなかった。

行事ごとは、息子にとって「試練」でしかなかった。
遠足、さつまいも堀り、運動会、音楽会、お遊戯会・・・

普通、そういう行事ごとって、子供にとってウキウキするもんじゃないの?
という私の「普通」は、息子にとっては「普通」ではなかった。

遠足やさつまいも掘りも教室の前で「いやだ」と大泣きした。

運動会は、ずっと袋いっぱいにどんぐりを拾っていた。
お遊戯会は、頑張って衣装は着たものの、参加せず遠くからみんなが踊るのを見ていた。
音楽会は、見守り先生の手をずっと握りながら歌っていた。
その頑張っている姿に、涙があふれ、私のマスクはびちょびちょになった。


ついに、次男が入園するときが来た。
長男は、年長へと進級した。
私は、長男にとって、弟の存在はかなり大きな安心のお守りになるのではないかと期待していた。

弟がいるなら、バス通園も復活させて大丈夫だろう、と思っていた。

が、

そんな甘くはなかった。

何を言っても「いやだ、乗りたくない」の一点張り。

さすがに、2人分の大量の荷物と、前と後ろに2人を乗せて運転するのは危険だった。
幼稚園までの道のりもかなりのアップダウンがある。
困った。非常に困った。
何としても、バスに乗ってもらわなくてはならない。
困った。非常に困った。
春休み中に「YES」と言ってもらわなくてはならない。


私は考えた。
そして、考えぬいた提案は・・・。


「バスで見送った後、お母さんが幼稚園で待っているのはどお?」


つまり、2人をバスに乗せて見送った後、ダッシュで家に戻り、自転車に乗って、幼稚園に行きバスが到着するのを待つ。

という、提案だ。



バスの意味ーーーーーーーーーーーーーーー!


と、ツッコミたくなるが、息子は、その提案に「YES」と言ってくれた。

お母さんが園で待ってるという「安心」をお守りに、長男はバスに乗ることができた。


ただ、入園ホヤホヤの次男に見つかると、きっと、私から離れられなくなるかもしれないと思ったので、次男には私が園で待ち構えていることは内緒にしていた。
なので、バスが到着したら、さささっと物陰に隠れた。


ん?


さささっと物陰に?



出たー!
お久しぶりです、くノ一母さーーーーん!

まさかの復活。


嗚呼、また、あなたに化す時がやってくるなんて。
できれば、会いたくなかったよ、、。


雨の日も、風の日も、バスを見送った後、猛ダッシュで家に帰り、「バスの意味ーーーー!」と、心で叫びながら自転車を猛スピードで漕ぎ、はぁはぁ言いながらくノ一母さんと化し物陰に隠れ、バスが到着し、次男が教室に入るのを確認してから長男と事務所で待ち合わせて、一緒に教室に向かった。


っていうのが、結局卒園まで続いた。


おかげさまで、母の太ももはバッチリ鍛えられた。


物陰に隠れているくノ一母さんは、朝の当たり前の光景となり、先生も、事情を知るお母さんたちも、そんなくノ一母さんに温かいエールを毎朝送ってくれた。


私の目の前に映る息子の姿は、1年前までは
考えられないことばかりだった。

息子を受け止めたくても、受け止めたくても、その全てが苦しかった。


息子に何が起きているのかわからなかった。


わからないことが辛かった。


私は、病院で一度診てもらおうかな・・と思い始めていた。


病院を検索し、いくつか候補を挙げた。


その話を仲良しのママ友に話した。
そのママ友も、私のショーシャンクを知る1人だ。(不登園②の記事参照)


ママ友は、教えてくれた。


「mikaさん、『HSC』って知ってる?
Yくん、もしかすると、『HSC』じゃないかって思ったんだけど。あとでそのことが詳しく載ってるURL送るね!」


と言って、すぐLINEに送ってくれた。


「HSC・・・???」

私は、この時に初めて、

この世の中には、5人に1人という一定の割合で、

ひといちばい敏感といわれる子ども
=HSC(Highly Sensitive Child)

が存在することを知るのである。

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