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駐妻になってわかったいろんなこと

JICAボランティアで2年間 ブラジルで働いたあと、今度は駐在妻としてサンパウロに戻ってきました。

ブラジル生まれでブラジル生活経験があるブラジル国籍の日本人駐在妻。

今のところこんな経歴の駐妻さんは聞いたことがないし、ブラジルパスポートの申請でお世話になった夫の会社の担当の方からも、「このパターンは初めてです...」と言われました。笑



でもこういう人もこれから増えていくんじゃないかなと勝手に感じています。



ボランティア(日本語教師)から駐妻になって変わったこと

・ポルトガル語を使わなくなった
・外に出なくなった
・子供と関わらなくなった
・日系人と関わらなくなった
・「日系社会の中の日本人」でははく、「日本人コミュニティの中の日本人」として見られるようになった


4月になり一緒に帰国したはずの同期たちのほとんどが本格的に新しい生活をスタートさせる一方で、私だけブラジルに置いてきぼりにされた気分です。


「任国で駐妻なんて最高じゃん!」とほかの帰国隊員の方に言われたけど、ほんとにそうかな??


ブラジルに所縁はあるけどめちゃめちゃ好きって訳でもないし、日本が1番住みやすいという事実はボランティアをする前からわかっていたこと。(もちろん帰る場所があるから海外に出ていけるのだけど)

外に出る=日本人同士の集まり=ここは私の知っているブラジルじゃないという違和感。それに3年目ともなると特に文化や生活する上で新しい発見もない。

なにより仕事がない。こなすべきミッションや、目指すべき目標がない。
子供を育てているわけでもなく、日本社会にもブラジル社会にも役に立っていない自分。
それでも毎月引き落とされている奨学金の返済。


こういう種類の苦痛が思って以上に早いタイミングと量でのっかってきてました。


「安全で便利な場所に住んでいて食べるものもあるのに贅沢な話だ」という声が自分の外からも中からも聞こえてくるけれど、「人間の幸福度は衣食住が満たされて初めて社会的承認欲求を求めにいく」みたいな話で自分を正当化してみたり。


借金までして得た学歴も、社会人経験もボランティア経験も何も活かされていない現実。

こんなことを毎日考えていると、日本にいる同期の1人が、「仕事見つかった?みかさん忙しくしてないと死んじゃうでしょ!」とLINEしてきました。


そうだった。
このままだと私は精神的に死ぬ!


ということで、家の近くのスクールで日本語教師として働き始めました。
日本語業界的に言うと非常勤、こっちの雇用状態的にはバイトです。

駐在家族が多く住む地域なので、日本人の子供の英会話も担当することになりました。子供のとき英会話教室に通った経験、中学での英検受験、英会話スクールで働いた経験も少しずつ活かされた形になってきました。

ある日はポルトガル語で日本語を教え、ある日は日本語で英語を教えています。


駐在妻だからこそ、自分だからこそできることをこれからも模索していこうと思います!

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