【3】2011.3.13

※2011.3.11東日本大震災当時のブログに加筆修正を加えたもの。

2011.3.13

朝の5時。

トイレに起き、再び寝ようとして街灯がついていることに気付く。
慌てて電気をつける。ついたことに泣く。

そのまま起きて割れ物を片付ける。掃除機を使った。風呂に入った。

冷蔵庫、ストッカーに電気が入って安心する。冬だから解けなかったけど、もし夏だったら全部解けていたと思う。

余震ひどい。また片付けをし、夕方にガソリンスタンドへ行く。6件目で、15リットル給油。

途中でパチンコ屋の前を通る。営業していて驚く。既にテレビでは「被災地のために節電」という言葉が出ていたので憤りを感じる。客がいることにも驚く。怖くないんだろうか。現実逃避ってことなのかもしれないけど、それにしても、と思う。(※2020年追記:この当時はディザスターシンドロームだったと思う。非常に憤りを感じたが、お店で働く人たちだっている。客もひとりで暮らしていれば、家にいるほうが怖いかもしれない。避難所にいるプレッシャーに耐えられないかもしれない。いる=怖くないわけではないと今なら思う)

実家に寄る。実家は前の晩に電気が復旧していたとのこと。

ぽつぽつと携帯の通信状態が良くなる。メール等入り、一部の安否が判明。

体調悪く歯茎が腫れて頭が痛くなる。腰も痛んだが、痛み止めを飲む気力すらなし。余震ひどく、犬が騒ぐので朝の4時まで眠れず。
しかし犬が吼えなくても眠れなかったと思う。連絡のつかない親戚や友人のことを思うと、眠れなかった。

(※2020年追記。私の親戚は、岩手県沿岸部に集中している。津波の被害が大きかった宮古の堤防近くにいとこが住んでいて、この段階では全く連絡が付かなかった。仙台にいた親しい友人とも連絡がつかず。また職場では子供が仙台にいるという人の話を休み時間のあいだじゅう聞くなどしていた。連絡がつかないひとだらけだった)

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