離婚ってひどい経験、でもアメリカに来るきっかけになった。

私がアメリカに渡ったのは31歳のとき。

離婚してくれと頼んできた元夫と別居することになって9ヶ月たってからだ。

アメリカに行くことになったのは、環境を変えてゼロから再出発したかったから。英語を話す国であればどこでもよかったけど、これまで何度も旅行したことがあるアメリカの西海岸を選んだ。

離婚は、これまで全くしたことのなかった最低な経験だった。

当時頻繁に国内出張していた夫。出張から帰ってきていきなり、

彼女に子供ができたので離婚してほしい

と切り出してきた。

ガールフレンドって、会社のアシスタントでまだ20代の前半。当時の夫は30代の前半だったから彼にとってはかなり若い女。

まだ出会って数ヶ月しかたってないんだ、でも俺たちは赤い糸でつながれているから別れられない。子供は絶対にほしいんだ。だから離婚してほしい。


は?


出会って3年で、結婚して4年目、どうしても子供がほしいという夫の願いで子作りに励んでいた最中だった。できなくてよかった。

ガールフレンドがいるなんて全く気がつかなかった。それもそのはず出会ってまだ2ヶ月って、よく妊娠したもんだ。

私のほうも出張が多くって、お互いすれ違いが続いていたのは確かだけど、まさか女がいるなんてね。

そこから先のことは、まるで霧がかかったみたいにうっすらとしか覚えてない。言い渡された夜、それまで一緒に暮らしていた東京のマンションから、タクシーで横浜の親友の家まで飛ばしたことは覚えてる。なぜかすぐに実家に帰りたいとは思わなかった。

その後実家にもどって家族と親友たちの力をかりて人生で最低な数ヶ月をなんとかサバイバルすることなるんだけど、そのおかげで最終的にはアメリカに渡ることになった。で、20年以上も住むことになっちゃって人生なにが起こるかわからない。

あのときビルの屋上から飛び降りなくてよかった。

ほんとにショックだったし、精神を病んでいたから、ビルを見上げてはこのビル飛び降りるのにちょうどよさそうとか考えていたんだ。

でも飛び降りなかったから、今の自分がいるし、いろんな経験ができた。

赤い糸ってのもひどいけど、元夫の陳腐な台詞がもうひとつある。

”何年かたってジャガーを乗り回してあーこんな男と別れてよかって思うようになってほしい”

きゃー、陳腐すぎで恥ずかしい。バブル絶頂期だったしねー。なぜジャガーだったのかは謎。かっこいいスポーツカーというよりは、おっさんの乗る車って印象なんだけど。

で、これが最後の面と向かっての会話になった。


おっさんじゃあるまいし、ジャガーには乗ってないけどさ、スバルだけどさ、別れてほんとうによかったよ。一緒にいたら、まだ日本にいただろうし、きっとものすごくみじめな毎日だったと思う。

いろんな意味でね。












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