#1 経済学は「科学」ではない?

しばしば、10人の経済学者がいれば10の分析が存在するため、経済学は科学ではないのではという疑念が挟まれることが多い。あるいは、仮定が非現実的であるためその有効性は極めて疑問だとする論も見られる。こうした主張をする人は理系に多いように思われるが、少しばかりこの問題について検討してみよう。

確かに、「10人いれば10の分析が存在する」というのは自然科学では考えがたいのかもしれない。しかし、だからと言って経済学は科学ではないと結論づけるのは二重の意味で間違っていると言わざるを得ない。

第一に、自然科学においても異なる結論が出ることは往々にしてあるのだ。例えば、地震学者や感染症の研究者がモデルや数値を用いてシミュレーションをした際に、想定される被害にあまりにも大きな幅が出るということはよくある話であろう。なぜこうしたことが起きるのかといえば、前提となるモデルの仮定が違えば当然結論も違ってくるからである。しかし、これを非科学的だなどという人を見たことはない。だったら一体全体どうして経済学は科学ではないと言えるのか、という話である。

第二に、そもそも「科学」とは何かについて検討する必要があろう。一般に、科学理論すなわち仮説は実験によって検証できなくてはならないと考えられている。カール・ポバー(1902-94)流にいえば「反証可能性」こそが科学を科学たらしめているものであるといえよう。

そもそも人間の認識には色眼鏡がかかっており限界がある。したがって、絶対に正しい知識など存在しないのである(可謬主義)。つまり、ある理論を確立するということは結局のところその理論のもっともらしさを争っているに過ぎないのである。もっとも、自然科学の研究者コミュニティの中でコンセンサスが取れることが多いが、可謬主義を前提にすれば、そのことは自然科学の知識がコンセンサスの取れた知識であるがゆえに絶対に正しい知識だということを意味するわけではないことはお分かりいただけるであろう。「10人いれば10の分析が存在する、ゆえに経済学は科学ではない」と主張する人の中に理系が多いのはこうした背景があるのではないかと推測する。

では、人間の認識の限界を前に我々はいかなる態度をとるべきなのか。実は、さらなる研究によって理論が修正されうる可能性を排除しないことが必要なのである。これこそがポパーのいう「反証可能性」である。経済学であれば、「計量経済学」によって理論が実際のデータと整合性がとれるか否かを判断することができるため、この反証可能性を担保する方法は確かに存在している。したがって、経済学が科学ではないという主張はここでも崩されることとなる。

では、仮定が非現実的であるという点についてはどうだろうか?なるほど、確かにそもそも合理的経済人や効用最大化、完全情報のようなものを仮定すること自体が間違っているのかもしれない。しかし、仮定が反直感的で非現実的であるということが、そのような仮定を含む理論が誤っているということに直結するのかについては考えてみる必要があろう。

たとえば、物理学では大きさと質量を持たない点である「質点」が登場する。もちろんこのようなものは現実世界には存在しない。しかし、これは完全に意味を持たないものなのだろうか?そんなことはない。大きさや質量を無視することができないのであれば「質点」で考えることをやめて「力のモーメント」を考えればよいだけの話である。経済学にしても、どうしてもそのような仮定を置いてしまっては現実に反する結果が出てしまう仮定を別の仮定に修正すればよいだけの話である。そもそも、仮説が現実と一致するべきであるとする現実主義など、人間の認識の限界を理解すれば出てこない話である。だとするならば、100%現実を説明することなど不可能だと諦め、モデルはあくまで経済現象を体系的に説明したり予測したりするための形式的な道具だと割り切る道具主義の態度をとることが必要なのではないだろか(近年MMTでにわかに脚光を浴びているポストケインジアンを私が批判する理由の一部はここにあるが、これは別の機会にしよう)。

最後に、経済学という学問の精神がよく理解できる論文として、以下を紹介する。理論経済学の論文のサーベイでは、こうしたモデルを実際に自分で解いてみるという作業が行われる。80ページほどあるのでそこまでする必要はないが、イントロダクションに理論経済学の精神である方法論的個人主義と道具主義が説明されているほか、途中でモデルの一部を修正することでより現実に即した説明を試みるなども行なっており、論文執筆中にどのような思考をしたのかという知的格闘の跡が見え非常に興味深いものとなっている。その点では良質のミステリー小説と通底する部分もあるのかもしれない。興味のある人は最初の10ページ程度を論理展開をトレースするくらいの感覚で読んでみてはいかがだろうか。
Greenwood, J., Guner, N., and G. Vandenbrouche (2017) "Family Economics Writ Large," Journal of Economic Literature, 55(4), pp. 1346-1434. https://pubs.aeaweb.org/doi/pdf/10.1257/jel.20161287


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