見出し画像

ひとのかたち、してるけど

”人間扱い”というか、人として尊重されるという、そういう自分を大切にするきっかけになるようなエピソードがこれまでの人生にはなかった。
いや、あったんだろうけど 無視してしまってた。

人の暖かさ、気遣いだとか優しさだとか
わたしはそういうのに滅法弱くなってしまっていて
ほんとうに、人に触れるのが恐ろしかったんだろうなあと、今になって思う

人の感情に触れたいと思っていた。でも怖かったんだろうな。

最近のわたしは”美希ちゃん”と呼ばれるととても怖くなる。
それはこれまでの境遇だったりとかいろいろ、あるんだと思う。

ミュージシャン”みかげ”が、仮面なのかもしれない。
本名でもない、わたしじゃなく、ミュージシャンとして”みかげ””としての交流でしか人と触れられなかったのかもしれないな。

ふつうは名前を呼ばれたら、うれしいものなんじゃないか。
でも、いまはまだ、むず痒いを通り越して吐き気がするような気持ちになってしまう。よそよそしさを感じてしまったりもする。普通逆だけど。
親からもらった名前が嫌いなわけじゃない。
自分として、一人の人間としてその場にいることがとてつもなく恐ろしいのだ。美希として、一人の人間を尊重されるのが恐ろしい。

ここにいることが、生きていることが、ひどく恐ろしかった。

ほんの数名だけ名前を呼ばれても、それでいいやと思う人達が居て
家族の前では、もちろん美希として振る舞うのだけれど
それはあくまで”松永美希”、「家」でのわたしだ。そこに自由な自分はないように思う。
そこに気がつけたとき、すこしだけ道が開けたような気がした。
だから家を出た。

名前で呼ばれることを不快に思わない、ほんの数名は友達であったり、しりあいであったり。
片手で数えられる程度だと思う。
そこではふざけたりとか好きに話したりだとか、そういう
名前は何でもいいんだけど”自由”がある場所なんだ。
”みかげ”と”美希”の中間にある感じ。

そういう意味ではありのままでなくても”松永さん”と呼ばれるバイト先とか
学校とか、そこも居心地が良かったなって、今更思う。

本心、自分の核となる部分に触れられるのが、すごく怖いから
固有名詞”美希”が怖いんだって気がついた。

三重県で、シンガーソングライターをしています。代表曲は「ひかりとつき」など。サポートや投げ銭でいただいたお金は制作機材やサイトなどの維持費充てています。応援よろしくどーぞ!!!