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1番星になれずとも

わたしは、星になりたい。
世の中には星が沢山います。顔が小さくて綺麗なモデルさん。演技させたらもう本物しか見えない素敵な女優さん。日本の期待を背負って世界を戦い抜いたスポーツの戦士たち。難しい事柄に対して向き合って改善しよう、いい国を作ろう。そうしようと戦っている人たち。
色んな星がいます。

わたしも星になりたいです。どんな星なのかというと、星と言っても、別キラキラ輝きたい訳では無いのです。星と言うよりは、基準点。光ってなくていいのです。

わたしは音楽を作っています。それは星になるための手段です。ですが、年末の、大きな歌番組に出るような星になるためのものではありません。
この世にいくつもいる星としての「特性」を知ってもらうための手段です。届けたいものを届ける、包装紙だと考えてもらって構いません。

わたしは最近耳が少し不自由になったことに気がついて、補聴器を使い始めました。SNSで、大きく取り上げましたが
それも、可哀想だとか思ってもらいたいからではありません。これも、伝えたいことのための包装紙。
すべては星になるためです。
耳が聞こえづらいと、かなり生活が大変なのだと
補聴器をつけて初めて知りました。

苦しくもありました。補聴器をつけること、抵抗もありました。まだ日本では浸透していませんから。

自分がとう生きたらいいのか、わからなくなります。
正直、つらいです。最底辺みたいな生活をしているとさえ思うことがあります。

でも気づきました。
SNSで「つらい」とか「最悪」とかって検索すると
たくさんの絶望が溢れています。
そんな絶望を抱えた人達をみたとき、わたしは希望を持って欲しいとは言いません。

でも、生きていて欲しいです。
生きる権利は当然あります。死にたくなっても、この世に生まれてしまったからには死ぬまでは生きなくてはなりません。生き延びて、生き続けなければいけません。

わたしは
小学生の真ん中くらいで、自分に違和感をもって小学生の後半頃、耳に違和感を持って

中学生の頃、家庭に違和感を覚えて
高校生の頃、親の体に異変を見つけて

それらは、それぞれ
愛着障害
難聴やめまいを引き起こすメニエール病
気持ちの共有ができない機能不全家族
母親は血液の癌である白血病……
というものに具現化・言語化されて

そのとき、あぁ、わたしは世間的に見たら
かなり不幸なのかもしれない
と、強く感じました。

もっと大事にして欲しい、尊重して欲しいとかそういうのじゃなくて
絶望感に満たされました。
これからどういきようか、と。

SNSをみたら、絶望している人が沢山居ます。
今、わたしは絶望していません。
楽観的に過ごしているから、補聴器の存在を大きく公表して、いま耳によって生活や生き方に困ってる人に補聴器の存在や必要さを知って欲しいと考えています。

そう、そういう基準になりたい。
わたしの絶望には、それぞれの違和感には
いつも誰かが寄り添ってくれていました。
場合によっては、その違和感の行き着く先、例えばメニエール病の当事者である人とか
そういう「絶望」の先輩が親身に話を聞いて、道を示してくれました。
自己中心的な話ではありますが。

今、スマートフォンやSNSによって
情報にアクセスしやすくなりました。
絶望している人は、孤独になりがちだと思います。心理的にも、立場的にも、です。

そんなとき、何年かまえにおなじ絶望をして心を折りそうになって 
それでも今生きているわたしの知見をすこしでも分けられたら、と思うのです。

知見をわけられなくても
絶望で成り立つわたしを観測して「あぁ、あのひと色々あるけど生きてるな、楽しそうだな」

と。
「じゃあ、なんとかなるか」「生きてみようか」
そう思って欲しい。

いつでも、帰ってこられる場所として。
そういう星になりたいのです。

さいごに。
わたしは音楽活動をメインに、いろいろなことに手を出してきましたが
音楽を通して叶えたいことがあります。
いや音楽だけでなく、全てを通して叶えたいこと。

それは、過去の、未来の、自分を
今の行動によって救うことです。
生きていていいよ、と 自分ではない他人に同意を求めるのではなく、自分で判をおしてあげること。本当はそれだけでいいけれど、できればみんなにも希望を。

きらきら輝く一番星にはなれなくていい。
一番星になれずとも
わたしは、星になりたい。

三重県で、シンガーソングライターをしています。代表曲は「ひかりとつき」など。サポートや投げ銭でいただいたお金は制作機材やサイトなどの維持費充てています。応援よろしくどーぞ!!!