受験を終えて

せっかく振り返るんだから思い切って中学時代から振り返ることにする。

大して勉強してなかったが、地元の中高一貫校に受かってしまった。入学後の成績は平均以下。それでも何とか平均には乗せようと思い、中3になる頃には半分よりちょっと上くらいの位置にはいた。

高校に入ってからの成績は200人中60番くらいになった。ちなみに母校の近年の進学実績は東大が4、5人。東工大が10人弱。早慶は50~60人。

要するに早慶入れたらいいね、くらいの実力だった訳だが、目標は高くしようということで第1志望は東工大にした。当時(相対的には)数学が得意だった私にとって、東工大の配点は魅力的だった。

目標を高くしたからといって勉強に打ち込むわけでもなく、高一高二は部活三昧。塾がない日は毎日ドラムを叩いていた。移動時間も音楽を聴いていたし、空き時間は音楽のことしか考えてなかった。

状況が大きく変わったのは高三の夏。高一高二と予定が合わずに行けていなかった東工大のオープンキャンパスに行った時。

「なんか違う」 と思った。何が違ったのかは未だに分からないが、なんとも言い難い違和感があった。

1度生じた違和感は簡単には消えず、考えに考え、様々な大人にも相談して、夏休みが終わる頃には無謀にも東大志望になっていた。

「東工大も怪しいお前が東大?ムリムリやめとけって」

幸か不幸か、こんなことを言う人は周りに一人もいなかった。

「ここから東大目指すのか、凄いな」

今思えばこんなことを言われて舞い上がっていたのかもしれない。東大を目指す自分に酔っていたのかもしれない。

目の前の壁がいかに大きいかは秋の冠で思い知ったが、「最悪一浪すりゃ大丈夫」という言葉を精神的支柱にして頑張った。

センター87% 総得点270点で撃沈。駿台で浪人することになる。

コロナもあってあまり友達はできなかったが、Twitterで知り合った猛者達の存在は大きな刺激となった。もちろん入試の難しさは知っていたが、その難しさを実際にこなす同年代の人間の存在が刺激的だった。

講師の方々との出会いも素晴らしいものだった。森下師と小倉師がいなければ物理科を志望することはなかったし、小林俊昭師がいなければアンチ文法の英語嫌いのままだった。他にもあげればキリがないが、自分の知的好奇心を満たしてくれる大人がこんなにいっぱいいるのかと思い、衝撃であった。

模試の判定は微妙ではあったが、着々と成長している感覚はあった。共テで92%とって、過去問を解いた感覚も良く、「大きくヘマをしなければ受かるぞ」というところまで来た。

結論から言うと、色々とヘマをした。

過去問で1度も40を切らなかった物理で30を切らなかったのが一番ヤバかった。数学と化学も色々やらかして思いっきり下振れした。

結果、総得点324点。あと9点。

合格を確信していた訳では無いが、不合格の事実はなかなか受け入れられなかった。自分の番号のない掲示を見てから思考はずっと停止していた。

東北大後期試験を受けに仙台へ旅立った。模試で冊子にも乗ったし、過去問を解いた感じも良かったので、後期はそれなりの自身はあり、「ここで大学生活を送るのかぁ」なんてことを考えながら動いていた。

急に東大の不合格を実感したのは、試験前日のホテルでベッドに入り、電気を消した時。暗闇を見つめながら、「なんで俺はここにいるんだ?」「ああ、東大に落ちたからか」 とか考えていた。

試験はそこそこ上手くやった。なれない(というか初めて)の面接もあったが、まあやれるだけやった。

それでも不合格だった。

受かったら晴れて旧帝大学生。落ちても慶應だから東京残れるしそれはそれでいいじゃん!なんて思っていたが、いざ不合格となるとなかなかきついものがある。

現役の時早稲田蹴ったやつが、1年やって慶應に進学。

この1年で大きく成長していることは自分でよくわかっているはずだが、なんだかこの1年を否定されたような気分。いくら主観的に成長を主張しても、客観的な「学歴」で否定される。

「大学入ってから何をするかだよ」なんて陳腐な言葉をかける人はさすがに周りにいないが、大学入ってから何を為しても、一生残る学歴はもう覆らないんだなぁという無力感。

二浪はもちろん考えた。だが今の自分の中にあるのは、1年前のような希望ではなく、無力感。

今思うのは、そもそも東大は高三の夏から本格的に勉強始めた人間が一浪して受かる大学ではなかったなぁということ。超進学校で高一、いや中一から東大を目指している人はかなり多い。そういう奴らとの差は1年浪人した程度では埋まらなかった。

あのまま東工大をめざしていたらどうなったか、確実に前期で東北大とか阪大とか受けてたらどうなったか。高一から東大目指してたらどうだったか…

確信を持って言えるのは、部活に打ち込んだ高一高二の日々、1年浪人するという選択、最後まで東京大学理科一類を目指し続けたこと、これらは微塵も後悔していないということだ。

結局旧帝どころか国立にすら入れなかったのは最後まで東大、東北大をめざしたからであり、この選択も後悔していない。

ただ何よりも、東大に入れなかったことが悔やまれるし、この思いが晴れることは一生ない気がする。

東大に入れなかったことが自分の中で美化されることはないだろうが、この悔しさを原動力にして、とりあえず前に進みたいと思う。

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