見出し画像

ジャーナリングについての考察

ポッドキャストで話したいな
って思ってたトピックスだったんだけど

いつまでも構想がまとまらないから
とりあえずnoteすることにした笑

数年前から「ジャーナリング+ヨガ」なる
セット販売を目にすることが多く

それって、私には違和感なの

だって、ヨガって自ずと
内側から「自分」を知る手段だし

わざわざ紙に書かないと
「本当に感じてること」はわからない??

仮にそうだとして
でもヨガと抱き合わせるって???なの

しかも、「書く瞑想」とかさ
え??マインド(表層意識)使ってるよね?

その一方、自分以外に意識を向けるのが
癖みたいになっちゃってたとしたなら

表層意識だろうとなんだろうと
自分にベクトルが向かったのなら
ものすごくいいことではあるよね

だって、認知には濃淡レイヤーがあるから
そこから深めればいいわけ

だけど、そこで終わっちゃダメよ笑


そういえば2008年ぐらいに
グループクラスの生徒さんから

「フォーカス」というより
他動詞としての「フェイス」で

つまり、「向き合う」感じがする
って言われたことがあって

その時は、え?「集中」だよね
って思ったんだけれど

あれって、その生徒さんが
ご自身の呼吸と体に集中することによって

ご自身となんらか「向き合う」ような
内側の経験があったんだろうな

話を戻して、なんらか自分の向き合うべき
「課題」みたいなことがあったとして

それって、文字に書き出したりしても
克服っていうか乗り越えることって
割に難しいんじゃないかな

しかも、わざわざ引っ張り出して
カサブタを剥がすみたいなことは

そういうのはヨガの仕事じゃないと
個人的に思ってて

ジャーナリングにせよ
瞑想にせよ

ネガティブな感情が溢れ出たり
不安な気持ちや怖い気持ちになるなら

それって、あまりいい実践ではなくって
中止したほうがいいと判断するのが
うちの伝統の考え方かも

で、克服すべき課題については
とりあえず、棚上げにして

ただただマインドケアをすることで

そのマインドケアっていうのは
自身の呼吸にフォーカスするってのが
うちの伝統の考えなんだけどね

呼吸は生命力/vital forceそのもので
それって、単なる元気やる気!!
みたいな暑苦しいものじゃなく

お勉強ができるとかじゃない
本質的な「知性」に関わるんだよね

そんな呼吸にフォーカスするなら
なに考えてるとか、どう感じてるとか
わざわざ書き出さなくとも

もしも「克服すべき課題」があったとして
むしろ、無意識下での作用によって
あれ?最近穏やか??って気づいたころに

以前だったらこう反応してたな、、
とか、痛みなしに振り返るものなの

それが、ヨガの力だと思ってて

もしも、まだ痛みがあるのなら
蓋をするとかじゃなく

もうしばらく時間が必要だな
ぐらいに、それこそ向き合うっていうかね

まあ、お気楽に🩵


「ヨーガは(人との)関係性」っていうのは
デシカチャー先生の言葉だけども

いい悪いというよりも、それらも含め
すべては経験ぐらいに思って

でも、避けられる苦しみや痛みは
なるたけ避けたらいいし

そのためにはサマーディで

サマーディの意味に関しては
シンプルに「理解」で

何を理解するのかっていえば
究極的に「本質の自分」なんだけども

それって、躍起になって探すものではなく
サーダナ=サマーディへの道筋がキモで

つまりは、コツコツ呼吸にフォーカスする
日々の練習の先にあると思ってるの

での、繰り返すけども
「理解」には濃淡レイヤーがあるから

赤か青か黄色かの中での
「青」みたいな認知じゃなく

どんな「青」なのか
どの色と色を混ぜたらその色になるのか
明度は?彩度は?みたいな奥深さがあるの

この話もいつかしたいな🩵

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?