見出し画像

結局、ヨガの流派ってなんだ??

※写真はエアインディア国内線(エコノミー)の炭水化物弁当

ヨガの伝統が整理整頓できたら
みんな安心して効果的な
サーダナができるのに

思想がごっちゃりでカオスだから
余計な苦しみ(講座課金とか)あるよね?

どこが正しい間違えているとかじゃなく
自分がこれだって思う伝統筋を見つけて

そこの先生からきちんと教わることで
サマーディの到達がグンと近づくわけで

ヨガを知りたい!
って講座を受けまくるよりも

インドにルーツがある伝統筋で
ピンとくるのはどれ?
を探すことだと思ってるよ

といえ、講座っていうのは
「自分がピンとくるヨガ」
を探すプロセスで

だからの講師の経歴を
見た方がいいと思ってて

むしろ講師こそ、そこを追求しないと
手を替え品を替え講座売りする
自転車操業になっちゃうと思ってるよ

での、フィットネス的なヨガが好きなら
それは北米由来でもいいんだけど

思想を求めるなら
インドにルーツがあるんだよね

私の今の認識での
ヴェーダとしてヨガの系列は

  1. ニケタン:ヴェーダーンタ学派

  2. シヴァナンダ:ヴェーダーンタ学派

  3. クンダリーニ:タントラ?

  4. アシュタンガ:思想は不明

  5. アイアンガー:思想は不明

  6. クリシュナマチャリヤ:ヨーガ学派

ここに挙げたのは、インド国内外で
敬愛されている先生の教えが
継承されている「伝統」なんだけどね

それ以外の、いわゆるハタヨガだと
アーシュラム由来で

それだとヴェーダというより
もう少し土着な印象があるかな

補足すると、外国人の生徒しかいない
先生は警戒だよ💦

思想っていうのは哲学ベースで
つまり経典ベースになるんだけども

ヨガがひとつって言い切る人は
それぞれの経典が示す違いを
理解していないのであって

「ゴールは一緒だけれどプロセスが違う」
っていう、プロセスの部分を示してるのが
経典なわけで

同じ経典だとしても、先生筋で
捉え方が異なったりもするっていう、、

だからこそ、経典を原文で
先生から教わったことがなければ
すべては憶測にしか過ぎないわけ

今は日本語でも経典にアクセスできるけど
俺流理解止まりも多々目にするよね🙄

だから、、ヨガの伝統を理解するには
まずは先生を探さないとだよ

ヨーガスートラで示されている
アンタラーヤ(サマーディの障害)を
避けるためのTipsに

ひとつの道(原則)を実践すること(YS1.32)
が、それにあたるんだなって実感してて

うちの伝統はヨーガスートラが核だけど
そこに別の経典の思想をミックスしても
混乱が生じちゃうもので

うちの伝統では
経典の乱読はすすめられてなくて

他の経典での必要な部分は
先生が引用して教えてくれるよ

まあ、実践とは別に
知識欲を満たしたいとか
大学院のイン哲で探究したいとか

そういうモチベーションは
それはそれだけども

実践ベースでは
自分の先生から受け取ったことが
その人にとって「正しいこと」なわけ

だから、そういう学び方をしていて
先生と繋がっている人の「ヨガ」って

迷いがなく、不足感がなく
安心感があって一貫してるんだよね

思想や哲学って、そこを求めてるわけで

「自分がピンとくるヨガ」の先生
を探すことが、サマーディ(本質の理解)
の一歩目になるよ

・・・

あとね、うちの伝統をハタヨガって
カテゴライズしてることもあるけど、、、

クリシュナマチャリヤ師はヴェーダと
サンスクリット語の学者だから

ヴェーダかヴェーダ以外かっていう
分類を示されていて

での、いわゆるハタヨガって
朝にアーシュラムでラジオ体操的に
練習してるやつだと思っててね

ハタヨガっていう分類は広義すぎて
そんな先生筋とかあるのかな??

てことで、うちの伝統ですら
ひとくちには語れないんだから

ヨガ全体でいったら言わずもがな🙄
なんだよね

「ヨガはひとつ」なフェイズから
まずは、ひとつの原則から追求すると
見えてくる奥深さがあるよ

ってことを考察した1ヶ月でした笑笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?