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その「お役目」ってほんとに??

※写真は南インドの家庭ごはん

昨日のヨガスートラ無料クラスのテーマは
「アスミター」だったんだけれどね

一般的にエゴという言葉で解釈されていて
での、ヨガスートラでは明確に

プルシャの力と
マインド(プラクルティ)の力を
同一であるかのように捉えること

って示してるんだよね

プルシャの定義は
永遠のもの
変わらないもの
100%ピュアなもの

そして、物質ではないもの

対して、プラクルティの定義は
永遠じゃないもの
変わるもの
プルシャが経験するための道具
物質

ちょっと脱線すると
1章でマインドの働きを紹介してて
そのひとつが「記憶」

てことは、プルシャには
前世の記憶が刻まれてない??

いきなりスピだけれど💦

その答えは、記憶はないけれど
印象は残ってるんだって

だから、前世で足が速かった人は
今世でも使い方の印象が残ってて
それが発揮できる肉体なら
今世でも足が速い??

勘がいいって、そういうことなのかな?

話をアスミターに戻すと
アスミターはマインドの汚れで
苦しみの種だから

頭(マインド)が考えていることなのに
心(プルシャ)から感じてると勘違いする

これって、苦しみにつながる可能性が
大きいってことになる

打算的なことならわかりやすいけれど

「人の役に立ちたい」からの
「お役目」って、まあまあ聞くよね

それ自体が「打算的」だったり
「他者承認」ほしさだったり

それを見極めるのって
自分ごとになると難しい

だからこその、アヴィディヤー
「本質的な自分自身がわかってない」
というから生まれるのが

アスミターを含む、苦しみの種だとも
示されてるんだよね

そういった思い込みみたいなことって
さまざまなレイヤーで日常にある

だからこそ、日々
なんらかの行為をすることによって
なんらかの印象がマインドに刻まれて

それが時に、マインドにつく汚れになって
特定の思考の偏りが生まれる

その積み重ねによって、人生に不満を
感じることが多くなっちゃうわけね

それを避けるためには、マインドケア
ヨーガ学派ならアシュタアンガヨーガ

この八支則の捉え方も、理論と実践が
イコールじゃないケースが多々あるから

何を目的に練習するのかっていう
そこから見つめ直す必要があるんだよね

というぐらい、ヨガってさまざまだから
自分の目的に合うヨガを見つけたらいい

での、「お役目」ってのは
深い場所の自分自身が感じてることなのか
浅いレベルの自分が主張してることなのか

まあ、疑わしいもんだよね
(急にやさぐれてて草)

少なくとも、10年以上情熱を持って
楽しみながら続けていることなら
その可能性は高いかもねってぐらい

だから、お気軽に「お役目」を
安売りしすぎないようにね

だって、数ヶ月後か、数年後には
全然違うことを「お役目」って
言ってるかもしれないあるある

まずは、情熱を持って楽しんで
打ち込めることを持つ

そして、それをコツコツ深めていくこと

私の場合には、それがヨガだったから
マインドケアもできて一挙両得だったよ

ピアノ 10年
エアロビクス 15年
アルゼンチンタンゴ 2年
カポエィラ 2年

ヨガは18年目💝

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