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改めてヨーガスートラの学び方のこと

古典は原文を先生から
背景etc.の補足(ここが何より大切!)
をもらって学ぶのが基本なんだよね

そうじゃないと
本来の意図は損なわれちゃうものなの

肌感的には、グループクラスで学ぶのは
まあ、動画でも一緒ぐらいな印象だけど
一定の認識には到達できるかな

でも、やっぱり個人クラスがおすすめで
自分の内側にある経験と照合して
自分の内側での疑問が聞けるのが利点だよ

「本に齧り付いて」って表現があるように
お勉強好きな人は、まずはってことで
読書から入ってもいいけども、、

それだと日本語話者の場合は
翻訳者の意図がほぼってことで

日本の文献ならまだしも
インドの文献はエッセンスが
希釈されてる上に、、、なわけ

なんか一本調子で平べったい表現な
発信されていると感じる人の
プロフィールを見に行くと

先生に師事して教わってなくて
最近ならソースはネットっていうあるある

だからかなのか
あるいは、ホリエモンの言うように
活字が読めない人がほとんどだからなのか

最近は本から学ぶ姿勢よりも
動画で学びたい傾向が大きい感じだよね

私としては、動画は全然ありあり!
だけど、発信のソースが読書やネットから
じゃないという見極めが必要だよ

あくまで、先生に師事して
原文から学んだ人の制作したコンテンツで

さらに言うなら「師事」って
1回きりの関係じゃないからね

これも、昨今あるあるで
本場に行って学んだって言っても
1回きりなら、それは観光客だからね

で、さらに古典として必須なのが
原語のまま経典を読むことだよ

ここで割にハードルが上がるけど
チャンティングできない人から
古典を教わるのも、実はなしね

での、質問できる先生の存在ね
対話から認識が生まれてこそ哲学だよね


コロナ禍またぎで動画だけじゃなく
コンテンツがさまざま増えたけどね

私が一貫して考えているのは
必ずしも「やさしく」する必要ない
ってことなの

だって、やさしいなんちゃら
わかりやすいなんちゃらって
すでにたくさんあるでしょ?

だから、そこにはこだわらずに
なるべく原文のままを渡しての

ご自身で咀嚼して
消化していただきたいと思ってるの

それには1回聞いただけじゃ無理で
私もそうだったよね

って結局、自分が学んだやり方に
なっちゃうんだけども

そうやって素材そのものそのままを
ばさっと渡されて

それを一生懸命咀嚼して
しかも英語から日本語に脳内変換 笑

そうやって10年以上かけて
消化してきた経験に基づく知識が
私にとってのヨーガスートラなの

そういう「経験」を通して
古典の知恵に触れるからこそ

古すぎない、未来的すぎない
若かろうと、老いていようと
西欧人も、東洋人も
さまざまなジェンダー問わず

誰にでもフィットするという
普遍性が生まれると思ってるよ

物語の読み聞かせ的な
「やさしい」学び方ではないけども

生徒さんはそれぞれに
ご自身で小さく刻んでみたりで

ご自身のペースで少しずつ
咀嚼していらっしゃいますから

興味があったらぜひ!

1年半前も似たこと書いてた 笑


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