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現地の肌感覚は大切&ヨガが生き方な根拠

※写真は、移転する10年前のアーユルヴェーダのトリートメントセンター(スパ)

ヨガのイントラで
インドに行ったことがないってのが引け目

みたいに言ってるのを
聞いたことがあるんだけれどね

だろうなって思うんだよね

だって、文化を学ぶにあたって
現地の肌感覚は当たり前に大切だよね?

でも、闇雲にインドといっても広いから
どこに行ったらいいかわからない
ってのも、あるわけで

その場合なら、インドに行く前に
もう少し日本で模索した方がいいか
あるいは、学び方を間違えていた証拠かも

だって、日本での自分の先生も
インドにつながってないとしたら

それって伝言ゲーム状態で
ヨガの本質とずれがあるかもしれないよね

もちろん、その先生のライフスタイルとか
見た目とか世界観が好きなら
それでいいのかもしれないけれど、、

それって、もしかしたら文化の盗用で
人の文化を損なってるかもしれない
ってことと

なるべく本質を大切にしたいと
思っている人たちもいるってことを
頭の片隅に置いておいてほしいんだよね

極端な例だけど、キムカーダシアンが
自分の下着ブランドにKIMONOって
商標登録したら問題になって

結局、取り下げられたでしょ

一方で多くの場合、インド人たちは
外国人がヨガに興味を持つことに好意的

でもそれって商売の道具になるから
って雰囲気があったりするんだけどね

での、ヴェーダの人たちは
子どもに叱ってもしょうがない、な感じで

物申してるのは、私みたいなユルガチか
外国人のガチ勢に多い印象があるかな

もしかしたら、インド人のガチ勢でも
ものすごく嫌悪を顕にする人が
いるかもしれないけど(多分、、いる)

そういう人々はヨガを格下に見てるから
まあ、、そんな感じなの

これは、私が経験した
現地の肌感覚なんだけれどね

ヴェーダのヨーガ学派が取り扱うのは
マインドなわけだけど

それは「生き方」に関連するんだよね

での、ヴェーダ全体としても
「生き方」なわけで

ヴェーダーンタなら
日常的なプージャ(祈りや礼拝)を
大切にするし

アーユルヴェーダだと
日常レベルなら南インドの家庭料理
自体がそれだし

薬効オイルや薬草(ハーブやスパイス)
を使った日常的なセルフケアだし

あるいは超意識高い暮らしぶり
(ほとんどが老人)

または、具合が悪いときに行く病院に
西洋医学だけじゃなく
アーユルヴェーダ医学の病院があるとか

まあ、ヴェーダって100年前までは
ブラーミンの人生そのものだったわけで

外国人だし
ブラーミンでもない私たちからしたら

ヴェーダーンタやアーユルヴェーダや
ヨーガ(ヨガはヴェーダ以外にもある)を
学ぶなんて

幼稚園生レベルな認識か
中学生レベルな認識か
よくても高校卒業レベルぐらいかの違い

でしかないのかなって思ったり🙄

つまり、どのレベルにせよ
「学んだだけ」の子どもなんだよね

話を戻して、ヴェーダの1学派としての
ヨーガが「生き方」な理由は

日常的にマインドケア=ヨガの実践
をすることで

①ものの見方が変わる
②意図が変わる
③ものごとの選択が変わる
④行動が変わる
 ↓
⑤行動の結果がマインドに残す印象が変わる

この①〜⑤のサイクルと積み重ねによって
人生を構築していくからなんだよね

このことをデシカチャー先生は
Relationshipと表現してらして

ヨガを通して、自分を取り囲む
人間関係や社会と、いい関係を築く
みたいに表現されてるんだよね

個人的には、あんまりピンとこなくって笑

そこを目指して、頭で考えての
いい関係性って、ヨガの人に陥りがちな
事象なんじゃないかな、、と思ったり

その頭でっかちさで
「自分に対しての否定」とか
「意思を抑え込む」ことになっちゃって

そうこうしてるうちに「手放す」とか
「自己受容」みたいな主張が始まって、、

その無限ループはSNS発信界隈で
しばしば見かけたりしなかったり

での、ヨガから受け取る恩恵で
結果として、これでも笑
よりよい関係性になってる実感はあるよ

でも、その前には自分の内側の満足や納得
ありきなんじゃないかと思ってるんだよね

そのために、内側を見るマインドの汚れを
せっせときれいにするための実践で

それって、毎日する呼吸法や
毎日するマントラチャンティングや
週1-2でのアーサナなんだよね

なんか長くなっちゃったけども、、

ヴェーダに関わることは
現地の肌感覚なしに語れないのは
長い歴史と伝統と文化だからで

こうして大切に守られてきた知恵を
なるべく損なわずに関わりたいと
思ってるってことを話したよ

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