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私にとってヨガはどういうものなのか、と進む道のこと

2014年にサラスワティにたどり着いて、サラスワティからヨガセラピーを学ぼうと思って、そのためにティーチャートレーニングに参加することになった。しかしながら、セラピートレーニングには参加しない決断をした。それは、ケーススタディワークスやプレゼンテーションに疲れたからだと思っていたけど、理由は別にあった。

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日本に限らずとも、昨今のヨガ界隈ではインストラクターおよびティーチャーはあらゆるコースに参加する。もちろん、全ての人ではないけれど。そして、認定証ばかりが増えていく。で、結局何ができるんですか?って結果になったりする。

グループワークが苦手で有名(?)な私がメンターを探し続けていたのは、コースに参加するよりも1対1でヨガを学びたいからだった。そして、サラスワティに出会って、それからメンターとしてサヴィットリを自分で選んだ。だから、いままで通りに母校であるKYM (クリシュナマチャリヤヨーガマンディラム)に通いつつ、サラスワティのセンターに通いつつ、サヴィットリと学ぼうと考えていた。

なんだけれど、もう一つのオプションに出会ってしまった。それは、デシカチャー先生の古い生徒で、その先生と話しているうちに十数年前に私が求めていたことがほのかに思い出された。そして、病状が悪くなる以前の先生をひしひしと感じて、すごく懐かしく感じられた。

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昨年11月の滞在でも、今回のその先生からも、キーワードは人を助けることだった。
11月では、人の手助けなんておこがましいって感じた。でも、ヨガをどうやって(誰から)学ぶのかを追求してきた理由は、人を助けたいからだと今は言える。だって、ヨガのポーズなら14年前から教えている。情報(お勉強から得られるもの)だってすべがある。だから、みんなコースに参加して認定証コレクターになるのだ。しかしながら、人を助けることになると経験からの知識が必要になる。だからこそ、誰から学ぶのかが重要なのだ。

新しい先生には会ったばかりだが、信頼関係をもっともっと深めていきたい。そして、人を助けるために学ぶのだ。それについては、彼らはセラピーのスペシャリストだから、とても心強い。

現在のヨガは、グループクラスなのがヨガだと考えられている。一方で、我々の伝統はやっぱりどうして1対1でセラピーなのだ。もちろん医療行為ではない。だが、マインド(思考・気分・感情)に作用するのはヨガだけだ。そしてまた、マインドこそがあらゆる不具合を作り出すのだ。

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ヨガが自分にとってどういうものか語るとき、私たちは困惑する。
インド人の友人は、ヨガは自分にとって全てだから言葉にできないという。これは、一瞬一瞬の経験が人生を作り上げることに由来している。その経験は行動の結果で、行動にはマインドが関与する。したがって、ヨガなし(マインドの安定なし)には好ましい結果になるために行動ができないかもしれない。そのことから満足できる結果(経験)が得られないかもしれない。そんな人生は歩みたくない。だから、ヨガは自分にとって全てだと言っているのだ。

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あれ?ヨガってそういうものなの?っていうことをふわわーーじゃなく、地に足がついたものとして伝えていこう。それが誰かにとって有益であるなら本望だ。

そんな気持ちで、次のマイルストーンに向けて進んでいこうと考えている。


Mika(@mikachant)でした。

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