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ヨガを教える目的で分かれる「ライフワークとライスワーク」

※写真はMAROMAの精油由来インセンス

パンデミック以降
職業としてヨガを教えてる人って
激減したと思うんだけどね

つまり、ライスワークとして
ヨガを教える人は

今ではかなり形を変えてるだろうし
離れた人も多いんじゃないのかな?

で、今今、ヨガを教えてるとか
教えたいと思ってる人は

ライスワークというより
ライフワークな人がほとんどで

好きを仕事に!とか過去の幻で

職業にならなくても追求してるのは
教えることが1番の学びだから
なんだと思うんだよね

での、等価交換として
レッスンフィーがあって

よく聞くけど
価格設定とかは全然難しくなくて

「学びになるから教えてる」としたら
むしろタダでもいいわけだけれど

それだと双方のモチベーションとかで
グダグダになっちゃうから

行いに見合った報酬を頂戴するていう
アパリグラハなんだよね

私はいつも、この値段なら
やりたいなってとこから始めるし

初めてチャレンジするようなことは
むしろ無料でもやったりもするよね

で、方向性が確立して
サービスとして安定してきたとき

低すぎると思ったら
続けられないと思っちゃうわけで
価格を見直すんだけどね

での、それならこのサービスは
受けなくていいかなとか
受け手の考えもそれぞれでね

安すぎても高すぎてもよくないし

どれぐらいが安すぎるか
どれぐらいが高すぎるかなんて
やってみたら自ずとわかるし

「教える」側としては
その機会が持てないことのほうが
残念でしょ

だから、ライスワークに「する」
じゃなく

ライスワークに「なってた」が
正解だと思ってるんだよね

これはヨガに限ってのことじゃ
ないようにも思うんだけれど

ライフワークがライスワークにも
なってた、ってのが理想的だよね!


での、私にとって「教える」という
今今の最大のモチベーションは

誰かの何かが楽になるようなサポートで
そのために専門性を追求してきたんだよね

それを受け取りたい人がいたなら
私は教師でいられるし

逆も然りで、ただそれだけ
シンプルなことで

マーケティングとか
そんなことに労力使うのは
なんか本末転倒っていうか

人数だけ集客できても
双方の希望が合致してなかったら
お互いの労力だけが消耗だと思うんだよね

だってほら、躍起になって投稿しても
インフルエンサーじゃあるまいし
あんまり反応なかったりするじゃない?

でも、受け手と提供する側それぞれ
認識に齟齬がない方がいいから

提供する側としては
思いを伝えるのは大切だよね

での、何かピンときた人がいて
私でお手伝いできることがあったら
喜んで!笑


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