ヨーガの本質とか真髄とかいうけれども
ヨガの練習をなんのためにするのか
ってのが、ヨガをもう一段深めるために
必要不可欠な認識なんだけどね
私を含め、生徒として一番最初の
ヨガを始めるモチベーションは大抵の場合
なんかよさそうだから、なわけで
それって、提供する側にしても
ふんわりしたモチベーションだからだと
今はわかるんだよね
ヨガは心身にいいです、とか言われたって
そういうのはヨガじゃなくても
ありますよね?ってなっちゃうのが
私でもあったわけで
何かヨガにはもっと深みがあるって
信じてたからこそ
ヨガってなんだろう?
ヨガの練習はなんのためにするの?
を、探究してきたわけ
で、それを明確に言えるようになったのは
つい最近だったりなのも事実で
フィットネス的ハタヨガを指導してるころ
後付け的な理由しか伝えられない自分を
もどかしく思ったよね
例え、素晴らしい理由が言えたとしても
やってることとの乖離
(だってストレッチじゃない?)
に、居心地の悪さを感じちゃったり、、
で、そういうとこにいた私も
うちの伝統のヨガを15年以上学んできて
現在の、ほんとにしっくりする答えで
内側からの理解を言語化できるまでは
まあまあ時間がかかった
サンプラグニャータ・サマーディという
専門用語があるんだけどね
それって、頭での理解から
心からの理解までのプロセスを指すの
その過程は、認識のレイヤーが
何層も何層もあって
での内側からの認識に至るわけで
メディテーション(熟考)なんだよね
表層の言葉はキャッチーだったり
エモだったりで、まあまあ商業的で
一方の、内側からの言葉は
届く人には届くっていう
これこそがヨガだと思ってて
特に個人に合わせたヨガを提供している
我が伝統なら、そういう掘り下げを
丁寧にするのが大切で
さもないと、生徒さんとのマッチングが
うまくいかない経験をしてきたんだよね
今現在、ヨガを10年以上指導している
キャリアがあるインストラクターなら
ポーズを教える指導員から
生活に染み渡るヨガを伝える教師に
なりたいと考えてる人が多いでしょ?
でもそういうのは、養成講座で
数百時間で教われることじゃなく
とはいえ、うちの伝統での「お勉強」は
並大抵じゃないから
ある意味で、養成講座は手っ取り早く
情報を埋められるとも言える
他方、それって入口でしかないのは
わかってた方がいいよね
だから、メンターを見つけないとだし
それも長くお付き合いできないとだし
メンターっていうのが、やっぱり
うちの伝統のキーワードなのかな
そういうのって「ネタ」をもらえる的な
インスタントな「情報」とは違うから
じっくり時間をかけて
ゆっくり育てていくものだと考えてるし
そのほうが不足感も渇望感もなく
結局はシャンティな結果になると思ってる
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