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あれこれできない、むしろしない選択

※写真はブロックプリントで使うハンコ

ヴェーダーンタの先生が話してた
ふむふむと思ったことなんだけれどね

ユクタというサンスクリット語の説明で
「適切な」と訳してて

食べ物と睡眠と活動を
適切にするっていうコンセプトで

タパ(浄化のための努力)とも
共通するんだよね

で、食べ物や睡眠の質と量
意識が高まってる昨今だけれど

「行為」に関して、実際する前に
本当に必要なのかよく考えることって
意外としてないかも??

ユクティのことを、サラスワティは
「知性」と訳すんだけれど

「適切」かどうかを認知するためには
「知性」が問われるんだよね

「行為」の質と量が適切でないと
無理が生じるのは当然で

江戸時代の死期を迎える私は
賢く選択して行動しないと
キャパ越えになって当たり前、、

もうひとつには多くの行為をすると
その分、マインドに刻まれる印象
なんらか増えるわけで

そういう意味でも
マインドの汚れを増やさない心がけ
中年以降のたしなみかも

と思って、noteしてみました🗒

・・・

この資料、ギーターの解説なんだけれど

ユクタ・スヴァプナーヴァボーダッシヤ(6章17節)
睡眠と目覚めていることの
どちらも適度でなければならない

とか、それな!

興味深かったので貼っておきます!

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