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パタンジャリの捉え方は「マインドのアップダウンを緩くさせる」ことだよ

ヨガの人々の発信を、どんなかなって
時々チェックするんだけどね

「幸せじゃないのに
幸せなふりしなくていい」

というお話を吐露されてて
正直な気持ちが伝わってきた人がいて

この方は、ものすごく勉強熱心で
指導歴も10年ぐらいなのかな

なんだけど、そんなにヨガが
助けになってないのでは??

って以前から
薄っすら感じてたのもほんとでね

こういうのって、ヨガの人々に
意外と多い事象で

メンタルのアップダウンや
体調のアップダウンが結構あるんだよね

でも、次の投稿では
こーんなに元気!楽しい!幸せ!

みたいな感じで、躁鬱に見えちゃうし

(自分が考えての)ダメな自分を
押さえ込んじゃう傾向もあるっぽいから

それだと躁!躁!躁!みたいな投稿で
そういうのも、なんだか息苦しくない?

肩の力、抜こうよ、、みたいなね

一方で、パタンジャリの捉え方が軸な
うちの伝統の「ヨガ」の場合

ヨガの一番の恩恵であり
実践する最大の目的っていうのは

マインドのアップダウンの高低差を
なるべくマイルドにすることなわけ

「ニローダ」という究極状態は
まったく波がたってない水面
みたいな状態を指すんだけれど

それを目指すのが一般人じゃないと
私は思ってて

とりわけ、一般人代表として
いつも意識してるのは

ヨーガスートラが示すように、基本的には
波をなくすことはできないからこそ

なるべく緩い波にするために
その効果が出る練習を日々してるよね

だからね、ヨガを長年やってても
マインドの浮き沈みが激し目なら

もしかしたら、練習に対しての
フォーカスポイントが違うのでは??
って考えたほうがいいよね

練習(特にポーズ)に対して盲信的で
修行者体質なのも
ヨガの人々に散見されがちなんだけど

もしもフィジカルのためじゃなく
マインドのために練習してるなら

ちょっと振り返ってみてもいいのかな

いや、むしろ健康体操的ヨガは
目的が明確でいいわけ

やってることがフィジカルなのに
精神世界を織り交ぜる傾向が
世界的にみてもカオスの極みで

ひとつの原則に従うっていう
パタンジャリが提示する指南を
ほんとだなって噛み締めるよね

その点、インド人がミックスしないのは
やっぱり伝統筋が明確だからなんだろうな

タントラの世界観と
ヨーガスートラの世界観

ここをミックスするケースが多いからこそ
このインタビューの席を設けたんだと思う

どっちが正しいとかじゃなく好みや信念で
伝統を選ぶフェイズに突入だね!

あと、きちんと学びを教えてくれる
メンターの存在があるとなしでは

心強さが天と地ほど違うってことを
付け加えておくね

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