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子育て&自分育て

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育児をするなかで気づいたこと、考えたこと。子育てしながら、自分も育ててます。
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#エッセイ

"境界線"を大切にした子育て

子育てするなかで、大切にしたいと思っていることのひとつが、境界線(バウンダリー)をはっきりさせるということ。 「自分を尊重する→相手を尊重する」ができるようになればいいな、と思うから(この「→」の順番が大事だと思っている)。 ※境界線については、こちらがわかりやすかったので参考にどうぞ。 ◇◇◇ 例えば、 自分のおもちゃを貸すか貸さないかを決めるのは、自分。 
親も無理に「貸してあげなさい」とか言わない。 逆に、お友だちのおもちゃを貸して欲しいと思っても、頼んでみ

インフラのようなもの、あるいは朝からの反省

子どもを保育園に送る道すがら、長いトングとゴミ袋を持って歩道のゴミを拾っている人々を見た。道路脇のビルに入った会社の社員さんたちが定期的に行っていて、スーツ姿の面々が真面目な顔でトングを使う様はちょっとおもしろく、ときどきお偉いさんがいるとその後ろにいる(たぶん)部下がさりげなくフォローしていたりするのもおもしろい。 道は、きれいなのが当たり前。 日本のいいところだ。 水や電気が「滞りなく供給されて当然」と無意識で思っているように、道だってきれいなのが普通と思っている。

頭と心の優先順位

家族が寝静まったあと、いそいそと家を抜け出し、近所の一風堂でひとりラーメンをすすった帰りのことだ(年に1-2回、無性に食べたくなってこんなことをしている)。 −なんでかな〜、きれいになりたいとか体型維持したいとか、思ってないわけじゃないんだけどな〜。 なんせ、普通に夕ご飯を食べたあとの所業である。数年前の自分だったら、そもそも食べなかった可能性のほうが高いし、欲望に負けて食べたとしても多少なりとも罪悪感を感じていた気がする。 −それがいまは罪悪感とか、ないもんな。 当

偉業こぼれ話〜父とわたしと子の話

この話(↓)には割愛した、というか、書かなかったことがあった。 自分の心に浮かんだ反発や、悲しみのこと。 父からのLINEを読んで返信するまでのあいだに、いろんな思いが内に湧き上がってきた。 −たまには認めてよ。 −ていうか、いままで1度だって素のわたしを認めたり褒めたりしてくれたことあった? −賞をとったりいい成績を褒めるとか、そんなんじゃなくて...わたしが何に興味があって何をがんばりたいと思っているのか、どんな努力をしてるのか、1度だって聴いてくれたことあった?

堂々としてる君に日々感動してる

小さな命と暮らす毎日はそこここに新鮮な驚きが落ちているのですが、何がいちばん感動するかといったらこれ↓ こんなに人にお世話をかけっぱなしなのに、「お世話かけちゃってほんとすみません」って顔を一切しない いや、当たり前なんですけどね。赤ちゃんだからね。 朝起きてから夜寝るまで、服を着替えさせてもらい、お風呂に入れてもらい(うちは朝風呂派)、保湿クリームをくまなく塗ってもらい(大人より念入り)、お腹が空いたらすかさず満たしてもらい、1日に何回も何回もオムツを替えてもらう(大

「あなたに会えて嬉しい」

挑戦することは本来、自然なことなのだなと小さな子どもを見ていると思う。 見知らぬものに手を伸ばす。 昨日できなかったことに今日も果敢に取り組む。 失敗しても凹んだりしないし(というか失敗という概念がない)、「自分は何てダメな奴なんだ..!!」と落ち込んでもいない。 連続性のなかに生きていない彼女は、毎日リセットされて目を覚ます。 毎朝、「あなたに会えて嬉しい‼︎」という笑顔でわたしを見る。 世界を瞬間で見ている。 わたしは今日もその横で、そのお裾分けに預かっている

Unconditional love 無条件の愛

ある友人と、メッセージのやりとりをしていたときのこと。 「無条件の愛、一生できる気がしない。笑 母になったみかち(わたしのこと)に今度聞いてみたい」 彼女はおそらく色恋のことで無条件の愛、を考えるに至ったのだろう。わたしもその点では「一生できる気がしない」。かといって、対子どもで無条件の愛を感じるかと言われると...正直、いまいちピンとこなかった。いつまで経っても自分自分のわたしは、子どもを持ったからとて何かが劇的に変わったわけではないのだ。 それでも目の前の小さな命と

月曜日の朝、オークランドで

母業を始めてちょうど11ヶ月。久しぶりのひとり旅でニュージーランドにやって来た。子どもはこの間、夫と、夫の母と一緒に過ごしている。 突然決めた(飛行機を取ったのは、出発の日まで3週間を切っていた日)この旅、本当はとくに理由もなくて「ただ、なんとなく」のinspirationからだった。ものすごく曖昧で自分にしかわからない、小さな心の声。 逆に、行かない理由ならたくさんある。それも明確に。「子どももいるし無理だよね、やめとこう」の方向に自分を持っていくのはとても簡単で、わた

「わたしたちの頃は考えられなかったわ」

街の中心地にある児童館に、しばしば1歳の子どもを遊ばせに行く。場所柄若くておしゃれな母親と幼児の組み合わせが多いのだが、週末には父親の姿が目立つ。日によっては父親率のほうが高いくらい。 そして時々、そこには祖母世代の姿も見える。孫守りをしながらこんな会話が聞こえてくる。 「わたしたちの頃には考えられなかったわよねぇ」 昨年、子どもの初節句で自宅に会したわたしの母や義母も、せっせとオムツを変えている夫(彼女たちの実の息子or義理の息子)を見て同じセリフを漏らしていた。

ママになることについて考える @実家

4月からの保育園入園前に、と、いまわたしの実家に帰省しています。本を読んだり、まとまった仕事を片付けたり...できるはずもなく(笑)。何でだろう、慌ただしいというのもあるんだけど、それより何より自分が「実家モード」になっちゃうんだよね。子どもだった頃の、保護者がいて無責任でいられたときの自分。 https://note.mu/kaori_orita/n/nf8ccccddd825 これはな〜、、、 かおりちゃんのなかにもいろんな感情や考えが入り乱れてるのと同じで、わたし

新しい時代を生きるために、きみに授けたいもの

今年の4/1は世間的には新しい元号が発表される日で。でもわたしにとっては、きみの保育園生活がスタートする日でした。朝からひとりソワソワしてた。言ってなかったけ?君の母はじつは心配性なのです。 今日はもう慣らし保育も3日目。このほんの少しの時間のあいだに、新しい時代を生きるきみにこれから伝えていきたいと思うことを書き留めておくよ。 ◆自分の内に基準を持って生きよ◆ 先が読めない時代、と言われて久しいです。たぶんそうなんでしょう。昨日の正解が今日の正解とは限らず、そもそもわ

夢の世界をいま生きてる

いつだったか、帰省したわたしに母が言った。 「みかもおねえちゃんも小さかったときは、もう無我夢中で。おかあさんも若かったし、『早く大きくなれ、早く自分の時間がほしい。早く、早く』って思ってたけど」 そこで少し涙声になって続ける。 「でもいまになって思うと、あのときがいちばんしあわせだったんだなって...」 いつだったか、朝起きて2階から降りてきた父も母に言ったらしい。 「おねえちゃんとみかが小さかった頃の夢を見た。ふたりともまだ家にいて、なんだ、まだいたのか〜!と思

夕方の海、家族の食卓

その日、ひとつの用事を終えていったん家に戻ろうとしたときのことだ。 「あ、今日、たぶんお買い得の日だ」 日頃、「○曜日は得々市!」(適当に言った)とか「毎月○日はポイント3倍デー!」とか、各種お店がよかれと思ってオファーしてくれるすべてを雑音くらいに迷惑がっているのに(そういうのに縛られて行動を決めるのが嫌)、何を思ったかついスーパーに足を向けてしまった。「しまった」と書いたのは、そこで確かに普段よりお買い得だった"お刺身の4種盛り合わせ"を見つけて、いそいそと買って「し

子育てって「人材育成」なの?

「AIに仕事を奪われないために」「グローバル時代に活躍するには」。AIもグローバルも本当の意味で何なのかよくわかっていない親たち(自嘲です)を不安に陥れる情報が溢れている。 「従来の教育では不十分である」 その1点だけはみんなよくわかっていて、でもその解決策が何なのか分からないから「それっぽいもの(つまり解決策っぽいもの)」に子どもを送り込む。 何だかなぁ、と思う。 いえいえ、わたしも興味がないわけじゃないし、そのへんの情報もフォローしているので偉そうなことは言えない