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きみのお役に立てるなら

20
たくさんの方に読んでいただいた文章のなかから20選です。きみのお役に、立てたらいいな。
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#日記

抱きしめられたい欲

「女子高生の援助交際」なるものが世間をやたら騒がせていた頃だから、もう20年くらい前になるのだろうか。あるひとが書いた文章のなかで、なぜかいまでも覚えているものがある。 「(何らかのバックグラウンドがあって)誰からも抱きとめられていない女子高生と中年男性が、援助交際の当事者なのではないか」 ☆☆☆ 言うまでもなく日本はハグ文化ではないので、対パートナーでもない限り日常的に誰かを抱きしめたり抱きしめられたりする機会はほとんどない(というか、対パートナーでも日常的にとはいえ

才能のありか、才能のしるし

高潔さを学びたくて、 不正のなかに身を置き 愛を学びたくて、 憎しみのなかに身を置き 平和を学びたくて、 争いのなかに身を置き 豊かさを学びたくて、 貧しさのなかに身を置く 傷ついた場所、 それがあなたの才能のありか 気づきの多さ、 それがあなたの才能のしるし だからどうか見失わないで 地に足をつけ、 空の星を見あげ、 風を待って、 進むんだ そこがあなたの才能のありか それがあなたの才能のしるし #日記 #詩 #エッセイ #毎日更新

「あれ、どうしてこの娘、こんな服着てるんだろう」

(前にも書いたが)ときどき、自分を天井くらいの視点で見る遊びをしている。すると、いろんな言葉が浮かんでくる。 最初おどろいたのは、自然と「この娘(このこ、※自分のこと)がんばってるなぁ」と浮かんできたこと。普段は自分が何かにがんばってるつもりまるでないのに。 「この娘、まじめなんだなぁ」と浮かんできたこともある。なんていうか、「子を思う親」みたいな視点から、自分を見るようになってくるのだ。 あるときは、「うーん、この娘、なんでこんな服着てるんだろう?」と浮かんできた。い

天使のしわざ

今夜7時半から8時頃にかけて、 調子が悪くて横になっていたときのこと 突然わたしの頬を小さな掌が包んで、 顔中にたくさんのキスが降ってきた 目を開けると見知った顔がにっこり見下ろしていて、 そのままごろんと寄り添い眠りに着いた あれは、 天使のしわざだった気もするし、 見知った顔の2歳児のしわざだった気もするし、 そもそもその見分けがわたしにはつかない #日記 #詩 #育児 #子育て #毎日更新

母とわたしと、わたしと娘

実家から母が来ていた。 こちらでも買えるような食材をスーツケースに詰め込んで、子どもへの誕生日プレゼントを携えて。 持ってきた野菜であっという間にいつもの煮物をつくって、 はしゃぐ子どもをあやしながら遊んで、 わたしたちと食卓を囲んで、 そして帰っていった。 母は言う。 昔はもっと何かしなきゃ、働かなきゃ、と焦っていたけれど、 いまはようやく自分の調子を見ながらのんびり過ごすことができるようになった、と。 母は言う。 美香の言葉がきっかけで、そうか、そういう考えか

前世の靴

引き続き、毎日、少しずつ断捨離をしている。 今日は玄関横に備えつけられている靴箱−シューズボックス?いまどきは何て言うのかわからない−に入っている靴をすべて出してみて、思わず唸ってしまった。 −これ、いったい誰の靴? パリで買った10cmヒールの黒いサンダル。存在すら忘れていた緑のスウェードのパンプス。気に入って修理に出しながら履いていた、けれどもう寿命どきなブーティー。高かったけど足に合わなくてほとんど履いていないベージュのパンプス(買うときすでに足に合わない予感はし

さみしさの正体

毎週月曜日の10時から12時、お掃除のMさんに来ていただいている。水回りを中心に、家中ピカピカにしてもらうことで、どれだけ精神的余裕が保てていることか。カタチあるものが残るわけではないけれど、「家事代行サービスに申し込んだこと」が今年いちばんのいい買い物だったとさえ思う。 ◇◇◇ そんな蜜月だったMさんと我が家との関係だが、彼女の事情により1月いっぱいで唐突に終わりを迎えることになった。 「わたしもこちらに来られなくなってしまうのはさみしいんですが...○ちゃん(うちの

わたしもまた、誰かをしあわせにした日々があったのだ

いまではときどき、になったけれど、 いっとき子どもが可愛すぎて毎日泣きそうになったり実際に泣いたりして過ごしていた そして思った あぁ、この子と同じように幼い頃のわたしもまた、 こんなにも母をしあわせにしていたのだ だったら、もう、いいんだな 誰かの役に立つとか立たないとか、 何かができるとかできないとか、 そんなのもともと関係なかったんだ ただ生きてそこにいるだけで、 誰かをこんなにもしあわせにしたことがあったなら、 わたしの人生はそれだけでもう、

おしゃれなひと

いまだ、本物のおしゃれ人種には免疫がないわたしだが(オシャレなセレクトショップとか恐ろしすぎて勇気出さないと入れない)、以下の要素を嗅ぎとると心のなかで密かに「おしゃれなひと」認定マークを押している。 サラダにフルーツとかナッツとか入れてくる わたしの育った家では、サラダといえばツナとかコーンとかポテトサラダとかだったわけですよ。ゆえに自分が大人になっても家ではそれらのサラダをつくって食べていたのだけれど、おしゃれなひとはそうではない。 ルッコラにいちごとか、ピンクグレ

大人っていいよ、ケーキだって全部頼める

大人って自由でいいよね、と思うことがある。それはたとえば、夜中過ぎまで起きていたって誰にも怒られないとき(でも翌朝、しっかり後悔する)。それはたとえば、買ったことを忘れていたアイスクリームを冷凍庫に見つけて朝から堂々と食べるとき。 夫の誕生日のため、ケーキを予約しようと洋菓子店に行った時のことだ。ガラスケースのなかに並んだ色とりどりのケーキたち−溢れ落ちそうなフルーツがキラキラと輝くタルト、真っ赤なイチゴが乗ったオーソドックスなショートケーキ、季節の定番モンブラン、そしてツ

"つらさ"まで、比較しないで

つらい、と弱音を吐いているひとに対して、おそらくは善意で、もしくは励ますつもりで「もっと大変なひとだっているんだから」といった類のことを言うひとがいる。「昔はもっと大変だった」「世界にはもっと大変なひとがいる」etc, etc... 確かにそれで奮起するタイプのひともいるんだろうが、わたしは単に「救われねーな」と思ってしまう。救われねーな、そのひとのつらさはそのひとだけのものであって、他のひとはいま関係ないのに。 ◇◇◇ 以前、親が認知症になって大変だ、という知人の話を聞

出会いはナンパ

「なんかこのひと気になる」と、勘が働くときがある。近所のカフェで、バーで、その存在がくっきり見えるというか、纏っている空気感が他のひととは違って見えるとき。かなり躊躇するが、どうしても気になるときは声をかける。はっきり言ってナンパである。 昨日は、そんな「出会いはナンパ」な方−といっても、相手は女性です−のバースデーのお祝いにお邪魔した。乾杯し、フランス産のチーズとテリーヌを堪能し、自家製アンチョビと野菜のパスタをたらふく平らげ、持参したチョコレートケーキまで遠慮もせずペロ

「自分らしく」なくてもいいと思えたとき、あなたはもっと自由になれる

意識的にか無意識的にかは別として、人には大切にしている「基準」のようなものがある。 迷ったとき、「こっち」を選ぶのか「あっち」を選ぶのか。もしくは「選ばない」ことを選ぶのか。 「自分らしく生きる」というのがわたしのここ数年の大切な「基準」のようなものだったのだが(もっと言えば、「ただ自分自身でありたい」のであって、便宜上使ってはいるが「自分らしく」って変な日本語だなとは思っている)、常に違和感のような、いつまでたっても焦燥感のようなものが消えなかった。 おかしいな、だい

レジャーシートを見るたびに本当のゆたかさについて考えてしまう

Bonjour, かおりちゃん!元気? 来月、家族でフランスに行くことになって楽しみなような不安なようなでソワソワしています。Airbnbのエクスペリエンスを見てたら、ひとつくらい参加してみてもいいかなぁと思い始めたりして。 頭のなかをエッフェル塔とセーヌ川でいっぱいにしつつ渡辺通りを歩いてたら、ついさっき1年半ぶりくらいにPascalさんとバッタリ会ってびっくりしちゃった。「いまは毎週土曜日にデモやってるから気をつけて」「でも5、6月はいちばんいい季節。わたしはもうフラ