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教養を学ぶというのは人を学ぶということ 〜2022.7.12 エクスマ学院2期より〜

『生き方』って大事だなぁって。
最近、しみじみ思うようになりました。

仕事第一主義の私でしたけど、仕事も生き方があってこそのものなんじゃないかって。
経験こそ全てって思ってたけど、人生の間にあれもこれも経験するには人の寿命って短すぎます。

それよりも知らないということを自覚して、関心を持つこと、知ること、そして、自分で考えることが大切で。

そのために教養を高めるといいと教えてもらったのが2019年の8月。

それまでは気分転換的に読んでいた本や映画を意味を意識して観るようにしたら、なんだかいろいろ面白くなってきてます。

いまの時代、不自由なく生きていられるのは過去の人々のおかげ

人間って奥深い生き物ですね。

「なんで?」って気づいたことを分かるまでとことん調べたり、自分の想いを書いたり、伝えるために音を奏でたり。
自分には無い能力だけど、それを成し遂げた人たちがいるおかげで今の時代を生きていけるんだなぁと、改めて人の偉大さに感謝してます。

文化、芸術を学ぶというのは、人間を学ぶことになります。

北海道はいつから北海道になったのか?

例えば、私が住んでいる『北海道』はいつから北海道と呼ばれるようになったのか?
その話は約150年前に遡ります。

かつて北海道は蝦夷地と呼ばれていました。
蝦夷というのは、朝廷の支配下になっていないところという意味があったそうです。

北の大地は長年未開の地となっていましたが、諸外国が次々と日本にやってきた幕末に一気に情勢が変わります。

幕末に松浦武四郎という三重県出身の探検家がいました。

松浦武四郎は26歳(江戸末期)のころ、長崎県で住職をしていた際、ロシアが凍らない港を作るため、蝦夷地を狙っているという噂を聞きます。
当時、諸外国は植民地を広げている時代。
ロシアの侵略から日本を守るために蝦夷地の調査をしようと決めます。

そして、28歳から41歳までの13年間、6回にわたりアイヌの民俗・言い伝え・歴史・地形・地名など、さまざまな面から調査し、151冊の調査書を作り上げました。

明治に入り、政府は蝦夷地の調査力を高く評価して、武四郎を「開拓判官」に任命し「蝦夷地」に替わる新しい名称を考えるよう要請します。
武四郎は『北加伊道・海北道・海島道・東北道・日高道・千島道』と6つの案を出し、その中で「北加伊道」が採用されました。

武四郎がこの名前に込めた意味は「アイヌの人々は同じ日本に暮らす民であり、彼らが大事にされ、彼らと共生するということが大切である」ということ。「加伊」はアイヌ語でカイ(この国に生まれた者)という意味があり、北の大地に住む人の国という意味を込めていたといいます。
政府はこの案をもとに北の大地の名を『北海道』に決めました。

北海道の各地の地名のほとんどはアイヌ語でしたが、アイヌ語には文字がないため書き記すことができませんでした。
そこで、武四郎はアイヌ語に漢字を当てて読めるようにしました。
いまの北海道の地名が浸透するようになったのは、松浦武四郎のおかげなんです。

日常的に当たり前に使っている地名ですが、名づけられるまでにいろんなドラマがあったということです。
こういうことを知っているだけで、物事の見え方って変わってきます。

教養を高めると人生が楽しくなる

教養を高めるコース『エクスマ学院』
1期に続いて2期も参加してます。

教養なんて、仕事に関係ないし、お金持ちの道楽の世界のものだと思っていましたが、全く違っていました。

参加するたびに興味の幅が広がってて、知って、考えて、を繰り返してます。で、知らず知らずのうちに会話とかにそれが出てるようで、以前よりアイディアの幅が広がってるなと思うこの頃です。
仕事に役に立たないなんて、とんでもない。
むしろ、教養を高めた方が断然いい!そう思います。

文化、芸術などの教養を学ぶ。
これって今の時代だからこそめちゃくちゃ必要なんじゃないかなって思うんです。
学生時代の学びは点数がすべてだったけど、大人の学びは人生や仕事を豊かにするもの。
豊かさは楽しさをもっと広げたり深めたりしてくれます。

教養の世界はジャンルの幅が広くて。
あれもこれも欲張ると、全然追いつかないしまとまらない。
それが人を知るってことなんだろうな、そう思うのです。