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大学病院で精神が潰れてかけてしまった話。

私は新卒でとある大学病院の循環器内科に就職しました。

ここでは本当に精神潰されたし、私はとことん向いてない人間だったと今冷静に考えて思います。

そんな私の就職の失敗談をみなさん聞いてください。


看護学生で感じた自分の性格

私は附属病院のついている大学の看護学部に進学しました。

なのでもちろん実習先はその大学病院となる。

大学病院と言えば、THE急性期病院。むしろ超急性期とも言われるだろう。


私は大学に入学した時点では、

「バリバリ働ける看護師になる。むしろ管理職目指して頑張っちゃう!」

そんな向上心の高い子でした。

高校まではそこまで目立たないタイプの人だったから、大学に入ったら友達いっぱい作って目立つタイプになりたい、とも思っていました。

なので大学に入った瞬間に、自分から積極的に声をかけて女子10人グループの中心的存在になりました。

昼食もみんなで机を合わせて、かなりのスペースをとるようなタイプでした。


そんな状態で4か月くらいが経ち夏になり、私はなんとなく悟ります。

「このグループ気疲れがえぐいわ。」

もともと少人数グループが好きだった私。中心に立つのも得意でなく、気疲れすることが一番嫌いだった私。

この四か月くらいすごく無理していた気がする。

そう思い、そのグループの中でも気があうと感じた2人と一緒にいる時間が増えました。


そうなると他の子たちとは居づらくなり、距離が離れていきました。

でもなんとなく少人数の方が本音で話せて素でいれる気がしました。


そこで私は、人をまとめあげるとか、大人数と一緒に動くこと、気疲れしながら動くことが苦手だとなんとなく感じるようになりました。

あと、積極的に動くってのも苦手なのかも、と感じてました。



そして実際に実習が始まっていきます。

先ほど書いた大学病院での実習。急性期病院であるため看護師もバタバタしており、気性も荒いのが学生ながら感じ取れました。

もちろん難しい病態の人が多く、病態生理や薬の作用などすべて関連づけるのが難しかったです。


そして以前の記事でも書きましたが老年看護学領域の実習の際に、

患者の本当の想いに耳を傾けて、その思いを実現できる範囲で看護師の目線で安全性を考えて叶えてあげる、という事例を通して

急性期で治療を優先するような場所ではなく、緩和ケアの場面であったり、大きな治療を終えて元気に家に帰られるまでの過程で、患者の希望や今後の目標に向かって支援できる看護師になりたいと漠然と思いました。

私の性格上急性期のような治療優先の場所は合わなかったのです。

しかし私は大学病院から奨学金をもらっており、絶対にそこに入職しなければいけない状況でした。

学費が高く私の家計では賄えなかったため奨学金を外部でも借りていたので、その足しになればと、2年働いたら返済不要という奨学金を病院から借りてしまっていたのです。


もちろん就活の時に慢性期の病院も視野にいれていましたが、奨学金のことがあったため選ぶ余地もありませんでした。


私はそのまま附属の大学病院へ入職となっていきます。


私が配属された部署

入職して一週間は研修で消え、そのあとに配属部署の発表がありました。

入職前に希望の部署を提出は済んでいました。しかし、選択肢が「内科、外科、ICU、手術室、小児科、産科」というものしかありませんでした。

私はこの中でも比較的ゆっくりした過程と考えた内科を選択しました。

一緒に入職した同期は120人程度。その人数の配属部署が徐々に発表されていきます。

そこで私は「循環器内科」に配属となった。

看護学生時代から恐れていた部署である。とりあえず心電図というイメージ。
そのイメージ通り、入院患者の約8割が心電図モニターをつけており、ナースステーションにあるセントラルモニターの数は病院内でも一番台数が多いような状況でした。

もちろんその時点で心電図の知識なんて国試レベルしかないし、実際に読んでみてと言われても自信がありませんでした。

循環器内科といえばどんな疾患を思いつくでしょうか。

心電図モニターを使用するくらいなので不整脈は考えられますよね。
他にもメジャーでいえば心筋梗塞、狭心症、心不全。コアなところでいうと弁膜症や下肢虚血、心膜炎、肺高血圧症・・・とかでしょうか。

もう忘れちゃいましたね。(現在この職場をやめてから4か月経ちました)

心臓カテーテルとかもやってる病院だったので、カテーテルの予定入院の方が半分以上を占めていました。

循環器って、全身に影響するんです。「循環」というくらいなので。

循環器内科に入院する人って共通して生活習慣に問題があったり、高血圧、高脂血症、糖尿病を既往としてもっていたり。透析をしている人も何人かいました。

だから飲んでいる薬の量も異常なんです。朝食時の内服薬が20錠くらいあるひともザラでした。

だからこそ病態生理も難しいし、退院指導も難しいし、また一日のうちで行うべきイベントの数も多かったです。

例えば点滴の量。おかしいです。
そしてカテーテル検査の前後のケア。めっちゃめんどくさいです。
手術前の薬チェック。糖尿病の薬飲んでる人多すぎ。抗凝固、抗血小板の薬飲んでる人多すぎ。

そんな病棟でした。業務量が多すぎでした。


看護師一年目

さぁ、こんな急性期に向いていない性格をしている私が、この循環器内科で働いていけるのか。

序盤からかなり不安でした。

そこで働いていた先輩方は所謂「優等生」という感じの人たちばかりでした。成績優秀者のみ集めたのかな?っていう感じ。


まず先輩の後ろにつき、業務を学んでいきました。

そのあとすぐに私たちも先輩たちと一緒にケアに入っていくようになります。

患者の訪室前に、この患者はどういう疾患で、どういう治療中の方だからどういう観察項目のもと検温していきます。という発表会を毎回やっていました。

情報収集も下手で、そもそも知識もまだ追い付いていないので、朝1に情報収集してもその情報の意味がまず分からなかったりしたので、その発表は毎回胃が痛かったです。

そして積極性に欠ける私。看護技術の上達が周りと比べて断然遅れてしまっていました。

大学病院なのでたくさんの医療処置を受ける患者がいます。そんな中で看護師が実施していくこともたくさんあり、その技術に対して「見学」「見守り実施」「自立」のスリーステップを踏まなければいけませんでした。

レアな処置だとこのスリーステップを踏むのにもかなり時間がかかったし、なによりその処置の見学や見守り実施をやりたいという意思を自分で言わなければいけなかったのです。

積極性に欠ける私は、その処置が自分の受け持ち患者でなく、他のチームの患者であったときに自分からそのチームの先輩に声をかけて時間調節をしてもらうという行動が全くできていませんでした。

「それ、私にもさせてください」という勇気もなかったのです。

それは私の教育担当の先輩も察してくださっていて先輩の方から、「今日こんな処置あっちのチームでするみたいやけど、見学してくる?」と声をかけてくださっていました。本当に情けないです。

いざあの空気感に飲まれると「私も!!」という声を出せなくなっていました。

そして入職して1か月。初めてのインシデントを起こします。

先輩から「患者さんのバルーンカテーテル(おしっこの管)の中の尿を破棄してきて」と言われ、
なぜか頭の中で変換し間違えて
患者のバルーンカテーテルを抜去してしまったのです。

その患者は前立腺肥大症もあり、挿入するのにかなり手こずった患者だったのでかなり怒られました。結局再挿入もできなかったのです。

ベッド上安静の必要があってこそ挿入されていた管を抜いてしまったのです。

そこで一度壁にぶちあったってしまいました。先輩も私に対して指示するのが怖くなったのか私に仕事を一時的に振らなくなってしまったのです。

これに関してはかなりへこみました。「私って役に立たない人間だな」「迷惑な人材だ」
それをいろんな人に泣きながら相談し、励ましてもらいました。

まぁまだそんなの私のメンタル崩壊の序盤でもありません。

その後患者の割り振りも増えて責任が増えていきました。

カテーテル前後の処置をして、検査だしして、重症患者の点滴管理、状態管理をし、退院処理をして、入院処理をして、保清を合間時間に終わらせて。配膳、内服介助をし、急変があればその対応をし、次の日の検査準備をし。

やることは無限にありました。一人一人の病態も難しく、常に頭をフル回転して、毎日クタクタになっていました。
家に帰ってもその都度仕事中にわからなかったことを調べておかないと、先輩にも怒られますし、気が休まらない日々でした。

私はよく「優先度を考えて」と怒られました。一日のうち15時ごろに絶対私はカルテ周囲が点滴や書類などで溢れかえり、キャパオーバーしていました。そのたびに冷や汗をかき、眼球がむだに左右に動き、涙が出そうになっているのを堪えてました。

先輩が委員会でいないうちに、「これを済ませといて欲しい」と言われ、一時間後に先輩が帰ってきたときに不思議とどれも終わっていなかったり。

どれから手を付けたらいいのか分からなくなるのが私の問題点でした。

そんな中でたくさんインシデントも起こしていきます。そのたびに公開処刑されるし、怒られるしでどんどんメンタルがそげていきました。

そんな状態なので同期が重症患者やICUから病棟に来た患者を見たりしているなか私は全く見させてもらえませんでした。
呼吸器のついている患者も全く見せてもらえず。

同期と比べるのは良くないと何度も言われましたが、目に見えて差があったので比べたくなくても比べっちゃって何度も泣いていました。

そんな一年を送り、なんとか二年目になりました。やめなかったの奇跡ですよね。



看護師二年目

二年目になり、先輩からの目が離れかなり自分流にアレンジしながら働く余裕がでてきました。

二年目でやっと一年目の後半に同期がやっていた、重症患者の取り扱いをさせてもらえるようになりました。

ここまできたら私は同期よりも遅れてるけどゆっくりいろんなことできるようになっているんだ、と考えられるようになったし、同期もそれを応援してくれていました。

でも重症患者の取り扱いはそんなに簡単なものではありませんでした。
重要な点滴が5~6種類はつながっており、扱い方を間違えると心臓が止まってしまったり、血圧が大きく変動してしまう危険な薬が多かったのです。また呼吸器をつけている患者も細心の注意をはからなければ、もし抜管でもしてしまえば呼吸停止です。
褥瘡にも注意しなければいけないので2時間に1回の体交も必要でしたし、全介助の患者のオムツ交換・保清・褥瘡処置ほど大変なものはありませんでした。


そんな中私は今までで一番大きいインシデント(アクシデントかもしれません・・・)を起こしてしまいます。

あまり思い出したくないのですが、皆さんに伝えるために思い出して書きますね。

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