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自分史上最悪の闘いについて

こんばんは。 みくです。
今回は写真やカメラをちゃんと(意地でも「本格的に」とは使わない)始めた理由を書いていきます。




じゃあこのタイトルはなんだ…?となる訳ですが、このタイトルこそが(恐らく)写真をしっかり撮るようになった最大の原因なのではないか、と自分では思っています。

ちなみに今日2月28日は、そんな原因となる出来事からちょうど4年。 なので今日投稿します。

以下5,100字以上もあるかなりだらだらな文章なので、さっと内容を知りたい方は目次の「結論。」を見ていただくと10秒で読み終わります笑


高校3年生の自分はこんな感じでした。

2020年…というか高校3年生の僕は何をしていたのかはっきり覚えていません。 もちろん断片的には覚えています。 でもどの記憶もふわふわしていて鮮明な記憶が殆ど無い…

ちなみに一眼レフは高校3年生の時から(親のカメラを勝手に借りて)使い始めました笑


入れるはずも無かった高校に入り、いろいろバカを極めていた高校2年生の後半から体調を崩す機会が多くなり、高校3年生からはそれまで殆どしてこなかった昼寝を毎日のようにするようになっていました。 高校の授業とかによく来る(来てほしくはない)睡魔とは違い、猛烈なものでした。 祖母の家で昼間に3時間以上寝てしまい困惑されたことは覚えています。

で、2020年からは寝ないように刺激が強いタイプのミンティアを買って試したものの、まさかのミンティア敗北。 刺激が強い食べ物は苦手なので、今後食べることは無いでしょう…

で、2020年2月。 世の大半の受験生は進路を決めたときの僕は…

進路先:無し

でした…

それはもう絶望的でした。 毎日のように深夜まで正座させられ父親に説教(というか今後の進路をどうするのかという尋問)された記憶はこの文章を書いていたら思い出しました。 今思えば精神は限界状態でした。

そして卒業式。

進路先があろうと無かろうと、必ず来る卒業式。 僕が高校を卒業した年の卒業式は2月28日でした。 新型コロナウイルスの話題が少しずつ出始め、いろいろ省略されたものの無事に行われました。

で、僕は…

その2日前の夕食にいきなり食欲がほぼ0になり、猛烈な吐き気に襲われていました。 3時間以上気を紛らわすために動きまくり、最悪の事態は回避(極度の嘔吐恐怖症なので)。 翌日は当然学校に行けず、1日中起きることが出来ませんでした。


そして卒業式の日。 「流石に行かないわけには…」となり、前日よりはマシだった身体を起こし高校へ。 この日はちゃんと親に許可を貰ってカメラを持ち出し、3年のクラス写真や異常なほど仲が良かった1年の時の男子全員と集合写真を撮りました。


が、ここでまず僕の気力が限界を迎えます。 本当は部活のメンバーとも撮りたかったし、3年間の間で関わったことのある知り合いとかとも話がしたかったですが、無理でした…早く帰らないとどこかで倒れてしまいそうでした。


というわけで高校を出て、最寄り駅に停めてあった自転車置き場に向かいますが、ここで体力が限界に。 歩くことはまだ出来ましたが、自転車を漕ぐことが出来ませんでした。 


で…家に着いたらもう何も出来なくなっていました…

地獄の1週間。

昼食も食べれるはずがなく、ギリギリの体力を使って布団へ。

熱を測ったら…39.2℃

当時使っていたXアカウントのつぶやき。


昔からインフルエンザなどの感染症を拾いやすい人なので、「久々に来たか…(最後にインフルエンザに罹患したのは中学2年生)」となり、病院へ。

しかし、インフルエンザとは診断されず、解熱剤を貰い帰宅。

で、解熱剤を飲んで快方に向かえば良かったのですが…

大量の吹き出物が出現。

高熱に加えて(特に背中に)吹き出物が出現。 また病院へ向かい、診断されたのは…

水疱瘡。 ということで内服薬と吹き出物からウイルスが出ないように塗り薬を貰い、39℃台の熱に加え、30個近くの吹き出物が症状に。

でも、水疱瘡にしてはおかしい症状がいろいろ…

歯茎が後退。

これが一番ショックだったかもしれません。 元々僕の前歯の歯茎は少し後退気味だったのですが、明らかにこの1週間で下の歯の歯茎が急速に後退してしまいました。 医師からは「いつか戻る」と言われましたが、未だに戻りません…

39℃台の熱が1週間。

これが最高にしんどかった。 うろ覚えですが、いつ熱を測っても37℃台にすらなりませんでした。 確か最高は40℃。 どうにもならないことは分かっていながらも、親に「もう限界です…」と言った記憶はあります。

よく、インフルエンザで高熱が出ると窓から飛び降りてしまう…という話がありますが、僕も深夜3時くらいにいきなり起きて水が入ったペットボトルを持ってトイレに駆け込み、朝に母親に「なんかトイレにペットボトルあるんだけど」って言われました。 ちなみにペットボトルをトイレに置いてからの記憶は一切ありません、たぶんペットボトルをトイレに置いただけ。 起きたら普通に布団の上で寝ていましたし。 怖いですね。


地獄の1週間をなんとか乗り越え、熱、吹き出物は完治。 しかしここからが大変だった…

自室から出られない。

解熱し、吹き出物も無くなりました。 しかし僕の身体はこの1週間で全く言う事を聞かない状態になってしまい、自室内で立つか寝て絶望も出来ずにぼーっとするかの2択。行動範囲は半径5m。
出来たのは、卒業式以来片づけることも出来ず、自分の部屋に置きっぱなしになっていたカメラで自室から見える飛行機の写真を撮ることのみ。

当時撮った写真。
「Flightradar24」というアプリを使って、家の近くを飛んでいる飛行機を追う生活。
アプリ自体は今も空港へ行くときなどでお世話になっています。

また、食欲が本当に元に戻らなかったため、胃カメラ検査も受けました。 結果は慢性胃炎と伝えられ、十二指腸潰瘍跡もあったらしいです。 相当なストレスが内臓にかかっていたっぽいです。 

繋がっていた数人に向けて、たまにポストしていました。

結局、自室から(病院に行く以外で)出ることが出来るまで1か月かかりました。 浪人とかもうそれどころではありません。 周りの浪人生は4月よりも前から新たなスタートを切っていた中、僕は部屋でなんとか生きていました。

浪人生活へ。

浪人どころではない。 とはいっても、いつまでも立ち止まっているわけにはいきません。

1か月碌に動けなかったおかげで鉛のように重かった体を動かし、予備校の説明会に参加。 親に頼み込み、とりあえず「何者でも無い状態」からは脱しました。 そしてここで文転を決意。

しかしやはり体調が戻らない。 常に胃腸がグルグル鳴っているし、昼食を抜いた日も…

また、チョコレートを食べると確定で胃腸が悪くなったので、しばらく食べることが出来ませんでした(今は大丈夫です)。

調べると、「過敏性腸症候群」に近い症状がずっと起こっていました。

いつ体調が大崩れするのかも分からず…しかしちゃんと休まず、週6で予備校に行けていたのは奇跡でした。

名駅の予備校に通っていたので、「気晴らし」(ここでいう「気晴らし」は、勉強のし過ぎによるものではなく永遠に続いていた吐き気に対するもの)にビックカメラや名駅探検などをしたものです。 で、その「気晴らし」で出会った曲が「プロミスザスター」という訳です。

単なる店内BGMでしたし、当時はこの曲が何という名前の曲なのかも知りませんでしたが、なんかピンと来たんですよね。 曲名が分かってからはずっと聴いていました。

夏頃には高校のときの数少ない友達から心配のLINEをもらいました。 良い人過ぎて感動した… 昨年会えた時にその友達の1人に少し詳しく病気について話したら、「よく耐えたな…」と言っていました。 自分でもそう思います。

僕とささしまライブ。

浪人時代後半からは、これも「気晴らし」として名古屋駅の南にある「ささしまライブ」地区に足を運ぶようになっていました。 似た建物ばかりの地区ですが、ほぼ毎日足を運んだ時もありました。

グローバルゲート5階の屋上庭園に行ったり、公園の椅子に座ったり、中京テレビ本社の巨大ビジョンから流れるニュースを見たり… サムネイルの写真は浪人生のときに撮った写真です。

グローバルゲート。 大学生になってから撮った写真です。
予備校終わりにこの景色を見て落ち着くのがルーティン化していました。
グローバルゲート。
夕日を見ながら歩くのが良すぎる。

そしてこの頃にずっと聴いていたのがこの曲という訳です。

原曲ももちろん好きなのですが、こっちのバージョンを当時は聴いていました。 いつ聴いても当時を思い出します。

大学生になってからもふとした時にささしまライブに行く機会が多いですが、こういうことなのです。

夜も綺麗で素晴らしい場所です!

で、なんやかんやで今通っている大学に受かり(本命は落ちましたが)、浪人生活は終わりました。 甘えかもしれませんが、以上の理由から僕は浪人時代は「勉強出来ませんでした」

大学生になっても続く不調。

そんな感じで大学生になれた訳ですが、相変わらず胃腸が良くなりませんでした。 1年生はほぼ1人行動で自分のペースを大事に生きていました。 1年生の時は週1ペースで体調が崩れていたため、遊ぶ余裕もありませんでした。 なんせいつ体調を崩すのか自分でも分からないものですから…
具体的な症状としては、まず身体と精神が切り離された状態になっていろいろ手につかなくなり、その後は数日胃腸の不調に悩まされる…という感じでした。
メインカメラを買ったのは1年生の11月でしたが、よくバイト出来てたなぁ…とたまに思います。
成人式後からは中学3年生以来仲が良い友達とたまにドライブには行っていました。 体調悪化に怯えながら、でしたが。

2年生ではマシにはなりましたが、それでも9月頃までは月1回は体調が悪くなっていました。 その後は2か月に1回、3か月に1回…と頻度は減っていきました。 でもやはり一度体調を崩すと数日は絶不調モードに陥るので、なかなか遊びには行けませんでした。 行けたとしても絶対日帰り…
昨年は関西3日旅とか桜巡りとかはしていましたが、それができるようになったのもかなりマシになってきていた3年生になる直前。

ようやく完治か。

3年生でようやく体調を崩すことがほぼ無くなりました。 ぶっ倒れてから実に3年かかりました…

たまに胃腸の調子が狂うときはありますが、以前に比べたらどうってことないレベル。 夏頃からは本格的にバカ旅を始めることが出来るようになり、いろんなところにも行けるようになりました。

しかしまだ油断はしていません。 またいつ体調がおかしくなる時が来るのか分からないので。

で、この病気は何だったのか。

いろいろ体調が狂う度に、この一連の病気の原因について調べていました。
症状とかググったときに胃がんとか出たときは流石に血の気が引きましたが…(もちろん違います)

何の病気だったのかは結局分かりません。 病院での診断通り、あり得ないほど強力な菌による水疱瘡だったのかもしれません。 でもいろいろ新型コロナウイルスっぽい症状もあった記憶があります。

結局、この出来事と写真趣味との関係性は?

長々と読んでいただいて、この疑問が出ると思います。

写真趣味自体はこの出来事の前から多少は齧っていましたが(学校祭で勝手にカメラマンとかもしていました)、卒業式で写真が撮れなかった後悔や家で飛行機しか眺めることが出来なかった期間など、「その時その瞬間の大事さ」をこれでもかと感じました。

その瞬間を形に残しておきたく、写真を始めたのだと思います。 写真を見れば、その写真を撮った日のことを断片的ではあっても思い出せるので。

予備校の説明会に行った日に撮っていた写真。
撮った意図は自分でも分かりませんが、緊急事態宣言で全然人がいなかったなぁ…など、何となく当時を思い出せます。

外出するときは大体何かしらのカメラを持ち出していますが、これも「いつ自分にとってのターニングポイントが訪れるか分からない」から持ち出しているのだと思います。

結論。

4年前の今日、よく分からない病によりぶっ倒れて1か月床に臥し、その後も原因不明の胃腸の不調と闘い続けて3年かけてほぼ完治した。 写真はその時に感じた「『今』の大事さ」を形に残したく始めた。


以上です。 書いてていろいろ思い出せるかな~とか思いましたが、やっぱり思い出せませんね。 まあ負の記憶はこれくらい断片的で思い出せないくらいがちょうどいいのかもしれません。 この出来事に限らず。


ではでは~

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