『富豪の家庭』に生まれた子の、家族との戦い

私の親は、権力がありすぎる。

根っからの資本主義100パーセントで、ビジネスマン、経営者であり、私はいつも色々な場で『〜の娘』と認識される。いや、そうとしか認識されない。
私にも、自分自身がある。父さんの付属品ではない。
私にも、考えがあり、まだ短いものの人生経験があり、苦労し、勉強し、いろいろとやってきたのだ。

最近、私はとある団体で活動を始めた。
無給で、日曜日の朝3時から昼過ぎまで(時差の関係で。日本時間では朝10時からなので大丈夫..)ミーティングや仕事を、無給とは思えないクオリティと量している。
本当に助けが必要な人に、
『大変だ、危険すぎてお金が政府から出ない』
などを言い訳にせずに、新たな選択肢を与えることをやっていて、その硬い意志と行動力に惹かれた。
そこで出会った人たちに、自分と同じ立場に置かれている人たちがいた。
彼らは、いわゆる奉仕活動に力を入れて生きるような、
あまり見ないような優しい心を持っているのは一目瞭然な、美しい心の持ち主で(美しい心を持ってない人なんていないと思うがそれはさておき)
しかし、私と同じく、家族の権力、考え方、伝統や育ちの良さを過剰に気にする態度などに賛成しかね、苦しんで今まで生きてきていた。

私たちはよくこう言われる。
『育ちのいい人を周りに置きなさい。その人たちはやっぱりレベルが高いことをしている。レベルの高いコミュニケーションをとれる確率が高い』(レベルとはなんぞや?)
『お金を稼いでないのならプロではない。稼いだらプロ』(オッケ、なら自分の夢を追うのやめたら一瞬でプロじゃ?)
そして、ただ悩みを聞いて欲しくて相談しても、会社のミーティング的な、物凄くプラクティカルな回答が淡々と返ってくる(chatGPTだって最初にまず心配りをするような文を入れてくれるが、私らの親、それない笑)
反対するのの何が難しいかって、父親の周りの人が父親を讃える、確かに実際人に影響を与えることをやりこなしている、それを実行する力がある、そして世界からも一目置かれるような実力者たちと私が面識があったりするのは、ただ父親の娘であるだけだからであるのは確かである。
(そこから仲良くなったり話をして、言い方は悪いが、自分の『友達化』することができているのは、それは自分自身の生き方だったり考え方が少し面白いからである自分の力であるが、元をたどるとやはり、もちろんそれは私が父親の娘であることが前提となっているのは確かである。)

昨日同僚と将来の話をしたとき、夢を教えてくれた。
『いくら育ちが悪くても、お金がなくても、誰でも最高の教育を受けれるような、学校を作りたい』ーそしてそのためには、やはり芸術の教育を入れることは不可欠だ。
すごく共感した。
(多分親たちに言わせたら、そんな夢の様なこと現実になり得ないよね、夢見てるね、であろうともう想像ができる…)
そのためには、それぞれの科目を哲学的なところまで考え込んでいる様なプロの意見が必要となる。
そのコネクションが私たちにはある。
ならやはり私たちは、いくら『〜の娘・息子』と呼ばれそれしか認識されなくても、その実力者たちと関わり、インスピレーションを積極的に受け、積極的に関わりに行くべきか?しかしそうすると、私たちは、その親の強すぎる権力と自分の透明人間のような肩書きにより、極度の自分達の存在や考えは全く価値がないのではないかという不安に駆られ、本来やりたいことの方向性とは違った方向に動き出す危険性がある。
ならやはり、そういう考え方の人たちとの関わりは、考え方から影響を受けすぎるので距離をとるべきか?

さっき少し、自分達を『離見』してみると、何が見えたかって、
ただお嬢様、おぼっちゃまが、お金のない人に同情している様子であった。
かわいそうだと思ってるだけ?それなら、酷い差別であり、そもそも私たちの夢って、やはりこの生まれた時からの苦しみに耐えることによる反発なだけなのか?と考えた。

したら私の頑張っていることって、結局何にもならないのでは?

回答は出ていない。
でも今思うのは、何事にも今までの経験から学んだ、最高の集中力と、一番素直な心でそれがどんな方向にであっても進もうとするしか、何もできることはないのだな。と。


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