見出し画像

Be?


最近、息が苦しい。

肺や胸が痛くなるのは、昔からこういう時ってわかってる。

仕事の悩みが、どんどん血管やらなんやら、体の管を通って、肺や胸や頭に広がっちゃって、身体全体が思うように機能しなくなるような気がする。


同じ言葉を操る人同士のコミュニケーションほど、実は難しいのではないかな、なんて思う。

言葉は通じるのに、伝わらない。

もしかしたら、自分が思うことをうまく「ことば」に乗せて伝えられていないのかもしれない。


「調べてみて」「参考資料を元に考えてみて」ということが、うまくできない時ってないかな。

調べても、参考資料を見比べて見ても、どうにもわからないというか、自分の納得に至らない時、「私は考える体力がないんかな」「理解力はどこへ?」なんて、思っちゃったりして。

普通みんなこういうのできるようになっていくんやんね、会社じゃなくて、自分で何かしようと思う人ならなおさらそうやんね。こんなんじゃあ、お店やさんがしたい、なんて、どの口が言うてるねん、って感じやん。なんて、思っちゃったりして。


そうしだすと、負のループに入っていってしまうことは自分でも分かっているのだけれど、最近うまくそこから抜け出せず、自分のできない所にばかり目がいく。


そうして、ちょっとしたちぐはぐとかもやっとが、積み重なるごとに、たぶん、私の呼吸は浅くなる。


初めは仕事のことでそうなってたはずが、気づいたら、生き方やら、進みたい方向やら、自分の経験やスキルや知識やら、いろいろな所にその痛みが転移して、あれ、自分は何でこんなに息苦しいんやっけ。ってなっているのが今。


なんとなく、常に並行して何かに悩んでいるタイプやけど、何かの拍子に、それが一つの渦に巻き込まれていって、どんどん渦が広がって、私の心のキャパが軋みはじめる。

そのキシキシが、この胸や肺の痛みになってることは、自分でも分かってる。


大好きな人の声を聞くと心がほぐれるけれど、逆に自分のこの負の渦に、電話から発信される声の波を通して、相手も巻き込んでしまうんじゃないか。

こういう時、ほんとはすっごく声が聞きたいし、物理的には無理でもせめて近くに感じたいのだけれど、それが怖かったりして。

「今日は話すのやめよう」なんて、一瞬頭に浮かぶけれど、口にしてしまうとあとで自分が後悔して泣くのもよく分かってるから、渦が届くか、届かないか、くらいの距離をギリギリ保っているつもりで、相手の優しさに甘えている。

きっと、そんな小さな器じゃないよ、なんて言われてしまいそう。

しんどい時はお互い様なんやろう。

けど、そばに感じられる、限られた時間、大好きなあの笑顔にさせるような声が出せたらいいのに。


***


今日は心のキャパが爆発寸前でヨガにいった。

少し、ミシミシはましになったような気もする。

やけど、

大好きな唐揚げを食べても、今、涙が止まらないのは、やっぱり思ってる以上に気持ちが疲れているのかもしれない。


こういう時に求める自然の色とか、風とか音とか触感は、本当に、自分のすきなことなんだろうな。



#mijinkochallenge  

2019.08.22

...あ、ショートケーキの日。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?