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デジャヴと夏越の祓

大きな大きな茅の輪をくぐり、夏越の祓のお参りに行ってきた。
大正の最後の年に産まれた祖母が子供の頃からの慣習だったという。
時代が移り変わっても続くことにはきっと目に見えない何かがあるからだと信じている。

今年の半分を終える6月30日(金)の半晦日、娘の保育園から自転車で10分程の距離に茅の輪くぐりのできる素戔雄神社があると知り、1週間の登園を終えた娘を誘った。

「やだ。アイス食べたいから早く帰りたい。行かない。」とごもっともな意見を主張する娘を「可愛いお守り買ってあげるよー!」丸め込み、小雨が降る湿度100%かと思う梅雨空の中、自転車を走らせた。

神社の横に区の施設があり、そこの駐輪場に自転車を止め神社に向かうと、なんと18時を前に既に閉門していた。
お参りできるのは17時までなのだそうだ。

「ママの調べ不足だった…ごめんね。。」こんな雨の日に…これが初デートだったら、振られるピンチである。
しかし娘は、初めて来るその土地に目を輝かせてキョロキョロし、いつものようにピョンピョン飛び跳ねている。

幼い子どもと子犬と暮らして思う。人も犬も「愛すること」はデフォルトで誰もが持って生まれてくる自然なことなんだなと。
ちょち(我が家の愛犬)は、私が近づくと必ずお腹を見せる。ママ、撫でて!撫でて!と。
その姿があんまり可愛くって、家事や仕事の手を止めて全身を撫でると、目を瞑って気持ち良さそうな顔をする。
時々思う。私もこうやって好きな人には全部を信じて、お腹を見せたらいいのに。
こんな簡単なことなのに、どうしてできないんだろう。「お腹を見せられても困るよ」と言われたら辞めたらいいのに、傷つくことを遅れて相手の出方を伺っていると、それは愛ではなく取引になる。

門が閉まっていては出直すしかない。
先ほど自転車を止めた区の施設と図書館が一体となった建物へ引き返して心底驚いた。

それは、夢で見た風景とピッタリ同じだったのだ。
床のタイルに書いてある絵も、丸い形の自動ドアも、入り口にかけてある三種類の暖簾も。
夢では地下があったけど…と思って案内図を見ると区の図書館にしては珍しくやっぱり地下室があった。
この建物を私は夢で見たことがある。「ちょっと似てるかも」というレベルではなかったので怖いくらいだった。これもデジャヴの一種なのだろうか。

ここまで強烈なデジャヴは(覚えている中では)過去に一度。
ちょち(犬)が我が家に来てまだ間もない頃。真っ黒だったちょちを膝に乗せてブラッシングをしていた時だ。新しく生えてきている生え際の毛は黒ではなくグレーだという事に気が付いた。
「ちょちー!黒かと思ってたら、グレーになるの?」と話しかけた時、私はグレーに成長するその犬をずっと前から知っている。という感覚に包まれた。

「人間一生、物見遊山」
人が生まれてきたのは、この世のあちこちを寄り道しながら見物、つまり観光旅行するためだ。
江戸の日本人たちの粋な死生観である。
私の禅マスター曰く、その観光旅行のシナリオはこの世に来る前に自分で作成したのだけれど、その時に思い描いたシナリオをこの世で体験した時に起きるのがデジャヴなのだそうだ。
私には分からないが、人間は脳の機能を普段10%も使っていないということなので、何が起きてもおかしくない。

だとしたら!
自分の思い描いていた未来とはだいぶ離れた方向に進んだように思えるこの上半期もシナリオ通り!大正解である。
なんたって鳥肌が立つほどのデジャヴ(正夢…?)を見ましたから!

肌が痛いほど太陽が照りつける日曜日。リベンジで素戔雄神社に行きお参りをしてきた。
境内にある富士塚の前に立った時、眉間がズキズキ、ギュンギュンして私のサードアイが開きそうになったので思わず眉間を押さえた。
パワースポットと呼ばれる場所に行くと、この眉間ギュンギュン現象が起きるのだがこれがエネルギーを感じているということなのでしょうか。誰か教えてください。

まだ始まったばかりだと思っていた2023年も下半期(!)
週末には誕生日が来る…!ここからまた、心機一転1日1日を始めよう。
自分に訪れるものを信頼し、肩の力を抜いて。


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