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3年前の夏 日報vo.72 2020.11.15

週末、neeが居ない自宅で一人で過ごしていると、無意識でneeの帰りをただぼうっと待ってしまい日常のペースが崩れやすくなることと、私の性質上、自宅で過ごすことが静養にならないために閉塞感でかえって調子が悪くなるので、気が乗らなくても無理にでも週末に用事を入れた方が結果的には幾らか気が紛れるために、ホテルに予約を取った。

本当は土曜の午前中から出かけて美術館巡りなどをする予定だったのだが、結局夕方に出発して、お風呂に入ったりして夜間開場している展示を一つ観に行き、夜の公園を散歩して、お蕎麦を食べて、またホテルに戻りお風呂に入り、ビールを一口飲んで(何年ぶりだろうか)、youtubeなどを観つつ浅い眠りを繰り返し、朝にまたお風呂に入りに行って、お昼までごはんも食べずにベッドでうとうとしていた。

先日の整体で整えてもらった背中や骨盤まわりが、まだ維持できていて、久しぶりにストレッチをしたのだが、身体を伸ばすのがとても楽にできて素晴らしい。

サウナも今まで4分くらいが限界だったのだが6分×2回は入っていられるようになった。

水シャワーを浴びて、外気浴をすると、身体が心地良い気怠さとともに弛緩する感覚があり、これが副交感神経が働いている状態なんだなと体感した。

幼少期から自律神経がうまく働かず、常に交感神経優位だったために、頭も身体もリラックスすることを今からでも少しずつ覚えていこうと思った。

鉛のように重たい身体を引きずるように身支度をして、ホテルの近くのカフェでランチをした。

想像以上に美味しくて、生き返った感じ。

とはいえ、自分の意欲とは裏腹に、気力や体力がついて行かずに、息をするのも辛いという時間が長く、先の見えないこの状況と孤独感に襲われたりと、かなりしんどい状況は打開出来ず。

気力でどうにか出来る問題ではないという事を、ようやく自分自身が理解できるようになったのは、大きな進歩だと思う。

様々な人たちが、「そうは言っても元気そうだし、気力でなんとかできるでしょ」と口々に言うので、自分では違うと感覚的にわかっているのに、「そうなのかもしれない」「そうしなければいけない」という風に流されてしまっていたのだが、「出来ない物は出来ない」し、「無理だ」という自分の確信を大切にしなければならない。

昨日も今日も行く予定だった美術館がたくさんあったし、街歩きしたい場所のあったのだが、自分の意欲と裏腹に、気力も体力も全くついていけず身体中が悲鳴をあげている状態なので、なかなかにもどかしい。

夜のチェックアウトまでに、できれば1箇所くらいは美術館に足を運んで、お風呂にももう一度入りたい。

もう一泊したいな。とか、しばらく何処かへ旅に出たいななんて思ったり。

私は、定住せずにあちこちで生活をするのが本来は性に合っているんだろうな。

1泊2日だと、旅行の荷物らしきものも持たずに家を出る。

せいぜい着替えの肌着を持っていく位。

手にした肌着のタグをふと確認したら、2017年の春に購入した物だと気付き、3年も経ったのかと唖然としてしまった。

自分の人生が破壊されると、ーまたは他意によって社会から隔絶されると、時間が溶けていくようにただ過ぎ去っていく。

そして、自我のない人生の空洞がより深く、闇深くなり、さらに身動きが取れなくなっていく。


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