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坊ちゃんが産まれるまで③

前回の続きです。


こんにちは、みいるです。

ここから妊娠後半戦。退院後の話です。
なかなか濃い前半戦でした。

書き忘れていたのですが、妊娠してすぐに切迫流産になり安静指示

出血が落ち着いてきたけどつわりがひどい、重症妊娠悪阻で安静指示

こうして仕事に行けない日が2ヶ月ほど経過したタイミングでクビになりました。

正確にいうと退職勧奨というかたちです。
休みが1ヶ月ほど続いたときに、上司が自宅まで顔を見にきて、元気そうやねー!と言って帰っていきました。

上司が来るってなったらなんとか頑張って対応しますよね…来る直前までトイレにこもり、去って行ったらまたすぐトイレにこもりました。

産休育休をとりたくて、なんとか粘ろうと思っていましたが、クビ宣告の連絡を受けた際にものすごい腹痛に襲われて、赤ちゃんがまず大事だと仕事は諦めることにしました。

そういえば、こっちも社会保険料負担してるっても言われたなぁ。それ言うかなぁ。

結果的に臨月まで安静指示だったので、あのタイミングで辞めて良かったと思っています。
お盆明けから急に休むことになって、多大なるご迷惑をおかけしたので申し訳なかったです。
先輩方からは温かいエールを送っていただいてそれが救いでした。


退院後の話に戻ります。

7.5kg減った体重は、年をまたぐあたりの妊娠7ヶ月ごろに元に戻りました。その後は月3kgペースで増加。
ほぼ寝たきりだったので、食事は野菜中心で量も少なくしていましたが、もはや息するだけで増えるという恐ろしい日々でした。

空気にもカロリーあるんかな。
(たぶんないはず)

鉄剤、下剤、1日5回の張り止めの薬。
このお薬たちが体重を増やしてるのか。
(それもたぶんないはず)

薬に関しては鉄剤と下剤は一緒に飲めないのと、張り止めは1日のうちに均等なタイミングで飲むので、服用時間をアラームで管理してました。なつかしい…。
わりとそういうのは苦じゃなかったです。
もう入院はいやだ…点滴いや…薬ちゃんと飲むでお腹の中にいてねって強く願っていました。

そうして無事に年をこして、何があるかわからなくて着手できずにいた出産準備に少しずつ取りかかり始めました。
(とはいえ寝たきりたので、ネットでぽちぽちとする指先作業のみ)

赤ちゃんが子宮の出口を縛った糸を突き破って出てくる恐怖は常にあったのですが、次なる恐怖に怯えていました。

それは何かというと、縛った糸の抜糸。
臨月になってもう産まれても大丈夫になったらやると聞いていました。

外来で分娩台で抜糸すると聞いて怯えに怯えまくっていました。糸が食い込んで難しい場合は手術になるとのこと。

内診すら毎回気絶寸前なもので、抜糸なんぞ想像しただけで吐きそうでした。

それと、抜糸の刺激で産まれる可能性もあるとのことで、とにかくドキドキしていました。


36週。無事に?迎えた抜糸の日。
痛くて思わず声が出てしまうほどでした。

食い込んでいないしスムーズに抜糸できそうですー!と、まさかの先生の発言。
こんなに痛いのにスムーズとは…食い込んでたらどんだけ痛いのよ…

ちなみに現在、出産の痛みはほぼほぼ忘れましたが、抜糸はトラウマです。
もしも今後また妊娠することがあったら恐らくまた同じ道をたどることになるであろう。
もしももしもそんな日が来たら、土下座して頭けずれるくらい地面にこすりつけて、どうにか回避してもらえんかと頼み込みます。


そんなこんなで抜糸を終えた翌週には子宮口が2cm開いていました。
坊ちゃん、よくぞここまで母のお腹にいてくれた。もういつ出てきても良いぞ。

出産はどんな感じで始まるかな?
おしるしがくるかな?破水かな??
とドキドキしながら過ごしていました。

抜糸したのが3月半ば。
新型コロナウイルスの流行が始まり、総合病院だったこともあり、このころからビクビクしながら健診に通っていました。
抜糸してすぐに産まれていたら、希望していた立ち会い出産出来ていたと思いますが、コロナの流行が広がりそれは叶いませんでした。

ここからもうひと波乱あります。
次回産まれます!…たぶん。

#切迫早産 #子宮頸管縫縮術 #シロッカー
#妊娠後期 #アラフォー #高齢出産

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