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平和の絵を描くとするなら

先日、久しぶりに福岡市美術館に行った話を投稿した。その続きとしてもう一つ、書きとめておきたい話がある。

あの日展示室をあとにして、私はそのままミュージアムショップに向かった。美術展を観たら、印象に残った作品のポストカードを買って帰るのも、一つの楽しみになっている。

ポストカードコーナーに立ち、まず手に取ったのは、福岡市美術館のコレクションの一つであるミロの作品。その後、もう一度コーナー全体を見渡したとき、ふと1枚の絵が目にとまった。

誰かに握りしめられた花束の絵。この日観たコレクションの中にはなかったものだ。ミュージアムショップによっては、展示されていない絵のポストカードが販売されていることもある。作品の隅には「Picasso」と書いてあった。タイトルは『花束を持つ手』。

ちょうど自宅のデスクの正面の壁に、花の絵を飾りたいなと思っていたところだ。白地にシンプルな線で描かれた花束が気に入り、このポストカードを飾ろうと決めた。

東京都美術館オンラインショップより引用

帰宅して、さっそくデスクの前の壁に貼ろうとしたとき、ふと気になった。なんでピカソは、この絵を描いたのだろう。

今年1月、国立西洋美術館で特別展「ピカソとその時代」を観た。ピカソは『ゲルニカ』のようなキュビズムと呼ばれるジャンルの作品以外にも、さまざまな画風の作品を残している。

『花束を持つ手』のような、ラフな絵もいくつか観たことがあった。ポストカードになるくらいだし、これも私が知らないだけでピカソの代表的な作品なのかもしれない。

そう思って調べてみると、東京都美術館のオンラインショップでもポストカードが販売されていて、作品ページに説明があった。それを読んで気付かされたのが、ブーケを握る2つの手が「両方右手」であるということ。

私は絵をよく観ることなく、勝手に「一人が両手で一つの花束を持っている絵」だと思っていたけれど、実際は「二人が一つの花束を一緒に持っている絵」だったのだ。

この絵は、平和会議のポスターの図柄として描かれたものだという。2人の人間が、1つの花束をにぎる。それが、当時のピカソが心に浮かべた「平和の象徴」だったことを知った。

「平和をテーマにした絵を描いて」と言われて、私ならどんな絵を描くだろう。戦争の時代を生きたピカソは、平和をテーマとした作品をたくさん描いている。戦争を経験していない私とでは「平和」の捉え方も、世界の見え方もまるで違っていたことだろう。

そんな私でも、彼が描いた絵画をとおして、彼がその目で、心で見ていた景色を観ることができる。それが絵画を観る意味だと思う。これは以前、原田マハの著書から教わったことだ。

この光景が、ピカソにとっての「平和」。何も知らないまま部屋に飾っていたら「なんとなく好きな花の絵」のままでそこにあったのかもしれない。平和の象徴として『花束を持つ手』を描いたピカソのことを、私はまた好きになった。

最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。いただきましたサポートは、自己研鑽やライター活動費として使用させていただきます。