部屋の片隅に、自分が落ちている

最近は気分転換を兼ねて、仕事の合間にちまちま引っ越し準備を進めている。本当にちょっとずつやっているので、進んでいる感はあまり実感できないのだけど。

特に大変なのは、本の整理。冊数が多いので、重くなりすぎないように、傷つかないようにとか、いろいろ考えながらダンボールに詰めていく。

ちまちま進めていくうちに、今日は部屋の奥の本棚にある「教材コーナー」にたどり着いた。そこには高校教員をしていた頃に使っていた、数々の教材が並んでいる。

さて、これらをどうしよう。誰かの役に立つなら譲りたいけれど、どれも付箋がたくさんついているし、中を見ればマーカーや書き込みだらけ。

いい機会だし、処分してしまうか。そう思ってはみるものの、ペラペラめくって中身を読んでいるうちに、どうしてもそれができなくなっていく。

評論文を読み解くコツとか、古典文法の解説とか、文学史とか。久しぶりに教材を読んで、心がときめいている自分がいた。そう、国語の勉強はとてもおもしろかったのだ。

もう先生を辞めて4年が経つ。教師をしていた3年間は、人生の中でもかけがえのない大切な時間。だけどあの時、自分がなんとか先生でいられたのは、受け持った子どもたちに恵まれたおかげだったと思っている。

だから今のところ「もう一度教師をやりたい」なんて気持ちはなく、もう自分の中では遠い思い出になっていた。だけど意外と、国語や勉強が好きな気持ちが今も変わっていない自分を見つけて、ちょっと驚いた。

教材の使いどころは全くわからないのだけど、捨ててしまえば、自分のこの気持ちを思い出す機会が無くなるかもしれない。それはそれで、別にいいんだろうけれど。

なぜだか今の私はどうしてもそれが嫌で、結局古びた教材たちを、持っていく荷物のほうのダンボールに詰めた。そんなわけで、引っ越しという絶好の機会に、また物を減らすことに失敗したのである。

荷物整理や断捨離をしていると、部屋の片隅にしまってあった意外な物を通して自分の気持ちを思い知らされることがけっこうある。進まないのはちまちまやっているからではなく、きっとそのせいなんだろう。

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