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議論は好き嫌いの発表の場でなければ攻撃し合う場でもない

題名のとうりです。

「議論は好き嫌いの発表の場でもなければ攻撃し合う場でもない」

それは、私がずっと一貫して伝えていきたい事なんです。

日本人は議論とは何かを根本的に理解していない人が多いです。

議論は自分の意見を発表して相手の意見も聞き、新たな発見を得る。そして互いの考えを知る上で、自分の意見と照らし合わせ建設的な方法を見出す。そして時には妥協点を探すための大切な時間です。

それに加え、価値観をアップデートしたりする事が出来る大変有意義な時間なんです。

意見を交わす時、既存の価値観が間違っていないだろうか?と疑ってみる事も非常に重要です。

日本はおそらくは、教育の影響と思いますがここら辺を理解出来ていない人が海外よりもずっと多いです。

それを証拠に、意見を言っただけで何故か怒ったり煙たがって避けたりその場では言わずに陰口を言う人も多いです。

何か新しい事を始めたり、問題点を解決したりするのには意見交換が欠かせません。それを経験してきた人の中には議論を本質的に理解できている人はいますがまだ少ないと言わざるおえません。

それに、意見は好き嫌いの発表の場ではないです。

私が〇〇を好きだから、〇〇は正解。
私は〇〇が嫌いだから、〇〇はダメ。

それは、意見ではなくてただの自分の嗜好の発表会です。感覚的な部分で決めている証拠。

好きっていうのは感覚的に何か刺さった部分があったから好きになる訳で、それって人によって違うんです。

そんな事をしている時点で、意見同士がぶつかり合うに決まっているし、キリがない。それで、攻撃しあう人達までいる。気付けば勝ち負けを何処かで決め始める人までいるんです。。。

自分と意見が違うと怒る人は、意見交換と好き嫌いの発表の場を混同している可能性が高い

あなたはあなた。
何が好きであろうが嫌いであろうが自由。
それは全ての人に当てはまります。

これを議論(意見)に持ち込むなんてご法度。そもそも理解できていない

批判と嫌いを混同している人までいるから重症。

嫌いなのは嫌いでいいけど、それはあなたの勝手だよね。それが正しいかとは別だよねという話。

感情的な部分は理由にはならないという事は認識しないと変なんですよ。

私はこれのこういう所が好きなんだよね。
私はこれのここが嫌いなんだよね。

それだけの話です。それは個々の勝手で自由にしてればいいじゃないですか。

自分の意見を批判されただけで怒る人は自分自身が感情的な部分を判断基準にしている可能性が高い。それだから、自分が否定された気になるわけです。

まあ誰だって自分の存在を否定的に言われたらイラつくと思いますよ。だけど、あなたの意見に対して私がこう思うと言ってるだけであなたの存在を否定していると思っているんですか?と思った事は何度もあります。

こんな考えの人は本当にトンチンカンとしか言いようがない。

日本人は周りの状況に影響を受けやすい人がうんと多い。数が多い方が良いものとか正解と勘違いしている人が多数。

何かを決める時に、多数決で決める事の弊害はおおいにあります。物事が上手くいっていない時や機能不全になっている時。または新しいものを創り上げるとき。みんなで意見を交わそうとなる。


そこでそれぞれが好き嫌いの感情でものを言っていたら。。。決まりませんよね。

そこで自己顕示欲を果たしたい人の習性がでてこればどうなるか。簡単な言葉や綺麗事で人を集めるようになります。

差別化されていない平均値を基準に進める事の弊害がここに出てきます。数が多いだけで正解なんて勘違いしていたら大変な事だって多いです。

こないだもバベルの塔の記事で書いた全体主義の欠陥はここ。

議論とは色々な意見があるという事を最初に前提に起き、擦り合わせるものと考えないと変。

そしてその意見は好き嫌いとは違い理由も必要になってきます。

個人の感情の押し付けなんてものは理由でも意見でもないし時間の無駄なだけ。

こんな風潮があるから、会議とかも無駄に長くなって何も決まらないとかになる場合が多い。

議論の方法が分かっていないと、これはこういう問題点があるけどこれだけ良い所がある。全体的にはこっちの方が利点が多いからこれで行こうとかそういう風に決められないんです。

A とB というものがあれば、それぞれ両方でプラスマイナスの事実を挙げていって、A とBでどちらが利点が多いかそしてその理由を並べて判断するのが議論の醍醐味でもあるんです。

完全な正解、不正解なんて言い出したら議論さえ不可能で問題の先起こりも起こり易く気付けば手遅れにもなりやすい。

こういう事が日本のあちこちで起こっている。

色々な国の人と話ししていると、意見を言わない方が変な場面も結構ある。

みんな違うのが当たり前だから、意見が違っているだけで怒る人は日本ほど多くありません。

意見が違う人を見つけると白熱する人はいるんですけど、ちゃんと好き嫌い以外の理由を持っていて“へーなるほどね。そういう考え方ね。”と思う事も結構ありました。

日本人は外国人とディスカッションの時間を設けると、「議論は好き嫌いの発表の場でなければ攻撃し合う場でもない」という事が理解できていない事からかなり変なコミュニケーションになってしまう人もいるように見えます。

それに英作文は出来ても論じ方が分かっていないので意見がかなり弱い。それにそもそも意見を言っていないのに意見を言った気で書き進めている人も多いんです。

だからどれだけ英文法や英単語の知識があっても、外国人には理解できない文章になっている場合も多い。

そんなうちに、日本人はコミュニケーションや英語のライティングが出来ない。と決めつけからのレッテル貼りをしているネーティブスピーカーが多いのは事実で本当に残念です。

意見を言うのは自然な事で抑えるべきでない場面も多いと実感できました。人同士が心地よく暮らしていくために必要なはずなんですよ。。

意見とは何かそして意見の伝え方とは何か。

まずは、

議論は好き嫌いの発表の場でなければ攻撃し合う場でもない

という前提を忘れるべきではありません。


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