質問するのは良いこと

私は自分が分からない事を誰かに質問するのが、めちゃくちゃ苦手な子供でした。

それは幼少期から大学そして社会人になるまでずっと続きました。

それには理由があります。家庭では、本当に疑問に思った事があって質問をしてもいつも特に良い回答をもらった事がありません。

本当に悩んでいて助けが欲しい時には、タイミング悪く色々あったので私がとても相談できる状態ではなかった。

それに私の疑問は、世間で言う“普通”の事に疑問を持つことも多く私の両親には到底理解されてもらえず話を聞いてもらう事さえも難しい事が多かった。

それ以外のたわいのない事でも、聞き流されたりして傷つくことも多かったので自然と自分自身で解決する事が多くなりました。

だから自分の頭で考えなければいけない状況が多く、学校の同級生からも相談を受けることの方が多く相談できる人はいませんでした。

当時そんな事はとても言わなかったけど私の悩みからすると、大概の人が大体大した事ない事で悩んでいたので驚いた覚えがあります。まあ悩みの大きさはその人次第なので、どの人のが大きいとか決めてはいけないので…

常に色々考えなきゃいけない事が多くて、いっぱいいっぱいで悩んでもいたし静かになっていることも多かったです。

中学生の時、先生の中で私と違う視点で面白い考えが聞けそうな人にあいました。その先生に試しに友達関係の拗れが起きていた事を相談してみた事があります。少し話してみたくて…。

でも家庭で相談したり質問したりすると、心に余裕がない両親から怒られたりしてきた私には大変勇気がいる事でした。演技してたけど、かなり緊張したのを覚えています。

その時、その先生は、とてもアッケラカンとした回答をサラッと投げかけ因みに笑わせてくれ、その拗れがどんだけバカバカしい事かも分かり解決のヒントをくれました。心がめちゃくちゃ軽くなった事を覚えています。

(今でもその人の事は見習っていることも多いです。)

それから私は、人に何か聞くのも自分と違う考えが聞けて良い事だな。分からない事を質問するのもしてみよう!という気持ちに変わりました。

当時、私の通っていた中学は公立高校で不良が授業中にサバイバルナイフを振り回してシンナー吸いながらガラスを割って廊下を歩くような荒れた学校に通っていました。

そんな中で私はどうすれば自分が舐められないで有利にいくようになるか方法を考えました。殴られている友達を庇って呼び出され、リンチに合いそうになった事もあるけど、最終的には不良達から好かれるまでになりました。話してみると満更でもないというところまできました…

ここら辺のエピソードは話せば長くなるしテーマでないので省きますが、要はこんな危険な状態を平気で乗り切ってきたにも関わらず人に相談や質問をするのに恐れを抱き苦手だったという矛盾した私の状態を説明したかったです 笑。

なんだか訳分からないだろうけど、私はそんな人間です笑笑。

話を戻すと、その先生に相談した後から私の頭についたストッパーのようなものが外れて質問しに行けるようになった訳です。

それで、授業で分からない事や疑問な所が出来たら直ぐに質問しにいく事を試しに行きました。

しかし、運が悪くなんと怒って罵倒を浴びせてくる教師に何度も遭遇してしまいました。

それから私の折角治った質問、相談恐怖症が舞い戻ってきてしまったんです。

理由も考えたけど全然分かりませんでした…。丁寧な言葉遣いで礼儀正しく質問しただけなんです…。質問してはいけない人が人を教えるのが仕事の教師の中にもいる事を知りました。

それから、先ずは自分で限界まで考えるという癖がついてきた私…

教科で疑問に感じる事があっても先ずは最初は自分で考える事を繰り返しました。そうすると、殆どのことがその内分かる訳です。又は、分からない事でもそんなに問題になる程度にはなりません。ま、いっかと済ませてしまう事までありました。

幼少期に傷ついた経験から、そのま、いっかと諦めるのも一種の防衛本能になっていたと思われます。

その悪い癖が出て積み重ねるような科目では悪い成績を取ったこともあります。

算数とかがそれでした。(嫌いになってずっと授業中落書きを続け、成績下がりました。だけど、何故か高校時代に突然理解できるようになって大得意になったので良く分かりませんが…笑そして最終的にバリバリの理系になるので分かりません 笑。)

自分で物凄く考える癖が自然とつき、自分で自分なりの解決を見つける私の人格は質問出来る人や相談できる人があまり周りにいなかったからこそとも言えます。

私が大学進学してからもずっとこの習慣は続きました。しかし、私には研究者として憧れの先生がいました。何とか仲良くなりたくて、かなり勇気を絞り難しめの教科を質問しに行ったんです。

しかし、残念ながらその人も研究者としては素晴らしくても質問するとバカ呼ばわりして罵倒してくる到底人格者とは言えない態度でした。。

声を掛けなければ良かったと、自分自身に後悔と反省をしました。無駄に壁を取り払おうとしなければ、素晴らしい像のまま置いとけたのになと…質問などすべきじゃなかったと…

こういう事を繰り返しながら(私は何故か懲りないのです 笑)社会人になりました。

直観からヤバそうな人には相変わらず質問をしない防衛戦を張っていました。近付きたい人のみです!質問するのは…笑。だけど、残念ながら大して毎回良いことはありませんでした。

私がオーストラリアに海外留学し始めた時もだから質問は出来ても、かなり心の準備をしてからしか出来ない自分がいたんです。

しかし最初に語学学校に入った時に私は本当にビックリしたんです。自分とは真逆の人達がウヨウヨいて…

なんと授業中に先生が喋っていても遠慮すらせずに、中には話を遮る程の状態で質問する人さえいたんです。しかも珍しくはない状態で…

でも殆どの先生が笑ってその場で答えるか、「後からね」と言って答えに行く人の方が大多数派でした。

私はそれでも質問できにくい自分のまま。すると先生の方から何か困っていない?と声かけしてくれるんです。。

なんか嬉しいというより、今までの環境と違いすぎて戸惑いの方が大きかった。慣れていなさすぎて、何か裏があるのか?とか、近寄ってほしくない疲れるな…。と思ったほど。

そんな時に1人のクラスメイトから、

「Minaはなんかあまり笑わないけどどうしたの?」

と聞かれて私は我に帰りました。

自分の頭でずっと考えて他人と接していなかったな…クラスルームなのにって…

それから、少しずつだけど周りと会話する様になりました。ただどうしても長年の癖からサッサと質問出来る人間ではなく気付いたら自分で考えて答えが出るを繰り返していました。

周りを見ると、日常で分からない単語があってもそれを絵を描いたり身振り手振りで聞くとかそんな子までいて私の長年の習慣はいったいなんだったんだ。と何だかバカバカしい気持ちにさえなりました。

質問するってすごく気軽でも良いんだな!

と思いました。

しかも英語のような語学においては聞いてしまった方がネーティブスピーカーから適切な単語が聞ける場合もあって調べるより早い場合もある。

英語で分からないと母国語の日本語から調べなくてはいけなくなるけど、ネーティブに聞けばその単語がわかるからより英語に触れるようになって仮に調べるにしても凄く良い訳です。

気軽に質問出来る子が凄く羨ましくて自分も何とかこの聞けない癖を治したいなと意識しました。

随分、気持ちを改革するのに時間がかかったけれど質問したい自分は学ぶ意欲があるから悪くないし怒られる筋合いはないと自分で自分に言い聞かせるようにしました。

人のやる気や上達したいという気持ち、新しく知識を吸収したい人を否定する人はそういう人間で自分の問題ではない。自分が縮こまり萎縮する必要はないなと考えなおしました。

確かに自分で全く考えようともせず他人に任せっきりで頼り自分で正しい情報を調べようともしない。そういう人は世の中に沢山いてそれは良い事とは言えません。

自分で勉強する姿勢なくして頼りっぱなし、そういう姿勢の人に会うと例え教師であれイラつくのは当たり前です。

私でも何甘ったれた考えでいるんだ。と思う場面は日本人に凄く多くて嫌な気持ちになる事はあります。

でも全員がそうではない。意欲を持って質問している人もいるんです。意欲があれば聞きっぱなしでなくて自分でもちゃんと勉強するし、調べる。興味を抱けば、最初は聞いたことのコピーでも探究するのが人です。ただ興味が持てなければそれで終わるでしょうが…。

だから最初から決めつけ質問してきただけで怒るなんて何と狭い考えなのか。

その人を頼って質問してきた事実を先ず受け入れて頼られた事実を誇りに思ったって良い。

直ぐに怒るそういう人は人の可能性を信じない寂しい考え方をしているから、同時に自分さえ否定していると私はそう思うようにしたいと考えを変えました。

質問を恐れない人は、能動的だから英会話力の伸びが早い人も私には多く見えました。私が最初から物凄く外向きな人間だったら、もっと伸びるの早かっただろうなと彼等を見てて思ったのはいうまでもありません。

それは英語が洗練されているとかそういう事ではありません。やはり、自分で調べて勉強せずただ質問してるだけでは語彙や言葉を操るオプションは増えていきません。ここは努力の部分。

だけど、練習量という意味で質問してすぐ声を発する方が圧倒的に効率が良い訳です。アウトプットが多いので…

オージーで日本語を勉強している人に何回か会った時も私が日本人と分かると

「これって、こうであってるよね。。。」

というように直ぐに自分の発音とか言い回しを確認してくる人がいました。

今考えたら、能動的で外に向けて積極的な性格だから私にたずねてくるのだと思うけれど、そういう人達は感心するほど日本語力が高かった。

そりゃあ、色々ごちゃごちゃ書いたけど、これは単純な話で、質問しているだけでも日本語喋るんだから当たり前なんですよね。

語学、特に会話力はアウトプットが多い方が上達が早い。

だから、質問することもアウトプットの一種だから恐れているよりは気にしないでいる自分の方が上達が早い訳です!

質問する人を怒ったり、変な風に言う人間は視野が狭い可哀想な人でそんな人の反応を気にするのはバカバカしい。

何か疑問に思ったら、失礼のないようにはすべきだけど、それ以外は全然気にせず質問すべきと今は思っています。

おかしな反応をするのは、こちらに配慮がない以外は向こうの問題なので気にすべきではない!どんどん質問するのがコツと思います!

他にも上達へのヒントになる記事を沢山書きました!見てね!!

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