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差別を気にしすぎじゃない?

こないだ、“周りを無視する精神力”の記事にも書いたのですが、他人の事をそんなに気にすべきじゃないという事を今日も書きたいです。

今日のテーマは差別です

これについても、気にし過ぎて良い事はないです。

私はオーストラリアに長期滞在した経験がありますが、差別は必ずあります。

その事をもう一つの私のはてなブログ『猫の手借りて、オーストラリア大解剖。』にも色んな視点から書いたのですが(興味ある方は読んでください)これはなにも私が日本人で海外に滞在しているから経験したわけではないと思っています。

なにを言いたいかというと、英語で日本人アクセントが入った時にバカにしたり笑ったりする人は気にしてはいけないということです。

私が常日頃思っていることなのですが、人は余程自分の価値観を常に疑っていないと偏見を持ち区別し気付かないうちに差別してしまう動物と思っています。

これは日本人だからという事ではない。自分自身の視野が狭くなる時点で余程気にしていないと差別してしまうんですよ人はみんなそうですよという事。

英語は世界中で話されている言語。当然、色んな国のアクセントで話され使われています。

厳しい事を言います。

日本人であるあなたも、よく聞いたことのある英語の音以外を

なにこれ?訛り強くて聞き取りづらいな?
〇〇人だからかな?

とか思った事ないですか?

もし思った事がある人は、それだけで無意識のうちに人を区別しているという事です。

区別しているという事は、偏見が起こり易いという事だから、あなただって人を差別してしまう可能性あるんですよ。

だから、そうやってこのアクセントじゃなきゃ変だと思って気にしている人は差別気質は持っている。

日本人アクセントをバカにする人も全く同じなんです。

本来、英語は国際語。今まで母国語で色んな風に発声する言語を話す国の人々が共通語として使っているのが英語なんです。

どのアクセントが正しい英語かはその人が住んでいる場所で、違っているんです。

人は慣れているものが心地良いと思う。だから慣れていない感じだと、少しは違和感を感じるのは仕方ないのかもしれません。

それを気にし過ぎてしまうと区別、偏見そして差別になってしまう。。。

なんとも皮肉なんです。

意識してしまうとそうなりがちと考えると差別を気にしすぎる事は本当にバカみたいな事です。

英語なんて伝え合うためのただのルールと考えれば、どれが正しいなんてないはずなんです。

これこそ正解!
そう思う事こそが不正解。

気にし過ぎないようにする事が、最も自分が差別しないようにする秘訣の一つなのではと思います。

逆に考えると、人との違いをすごく意識して空気を読んで合わせる事を考えている日本人は違うという事を意識しているともいえます。

違いは当然と考えずに、意識している時点で差別気質。

外人とか呼んでいる人もいるし、全くそれに悪気はないかもしれないけれど、そう無意識に口に出す事自体人を区別しているんです。

そういう人が、自分のアクセントを笑われたりして非常に気にして怒りを感じたりしているとしたら、ある意味矛盾していてお笑いレベルとしか思えません。

やっている事は同じで、仲間じゃないかと思う訳ですよ。

よし、そうか!
英語のアクセントや喋り方には正解ないから自分の喋りたいように喋れば良いじゃん!

みんな好き勝手なアクセントで話しているから関係ないじゃん!!

そう考えて好き放題、喋っている人がいます。

それは良い事なのでしょうか?

英語の発音とアクセントは分けて考えないといけません。みんなが分かるようにルールがあるんですよ。

ルールが人それぞれの状態で、一つのゲームをする。それって不平等ですよね。

ただの勝手な事を正当化してるんですよね?

そういう事です。

音のルールを無視し放題をお互いに続ければ、分かりにくいから意思疎通しづらい。色んな国の人と、うまくコミュニケーションを取りたければ気遣いとして意味を分かってもらうようにする事は大事です。

すぐに完璧になるはずはないけれど、英語のリズム感や音は重視して違和感を与えないようにしなければまずいです。

よく日本人だから日本人らしく喋れば良いとか言って、日本語の音をそのまま英語に持ち込み威張って正当化。それを指摘されると差別とか言っている人は逆に変です。

自分達しか分からない話し方をして、コミュニケーションの幅を狭くしている差別気質だからこういう発言が出てしまうんです。

長く色々書きましたが、私が端的に分かって欲しい事は人は余程気をつけないと差別してしまうという事。

だからそんなに気にしても仕方がない。

人から差別されているのでは?
英語の発音をバカにされた。差別された!

などと気にするのを辞めて、

自分自身がどの程度人に対して気配りして分かりやすい英語を話す事が出来ているだろうか?

と考える方がマシという事。

他国の人から差別された!

と思っている自体が区別しているから、危ないと自分自身が認識すべき。

差別について考え過ぎている人は、もっと自分自身の価値観に疑いを持つことに目を向ける方が重要だと言いたい。

そういう風に考えれば、バカバカしくて差別されたってそんなには気にならなくなります。

人から無くならないことを、そんなに気にしたってしょうもない。

一人一人の心がけで世の中から、差別がなくなる。それはあなたも含まれていて決して他人事ではないですよと言いたい。

差別を気にし過ぎじゃない?
それより自分の意識の方に向き合おう!


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