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沈黙がないとしたら。

英語を話している人の様子を見ていると、ずっと喋りっぱなしのように見えませんか?

なんだか、沈黙がないように感じてしまう。
事実、私もそう思ってた時期がありました。
その時期に、沈黙がないとしたらどうやってそんなに話せるんだろうと考えたんです。

そして、じっくりと気をつけて聞いてみた。気付いた事は、ずっと内容がある事を話してるわけじゃないという事。

上手く何か言って繋いでいるだけの事も多く。みんな多弁な訳じゃなくて、ただ沈黙が少ないように話す事に慣れてるんだなぁと安心した記憶があります。

それなので、自分の言葉が出るまでは焦らずに何か言って繋げば良いんだなみたいに気楽な気持ちを持つようになりました。

別に何も、ずっと話し続ける必要はなくてなんらかの繋ぎ言葉を言ってそして言葉が見つかっていれば口に出せば良い。
そう考えれば、肩の荷が降りると思います。

もちろん、多弁の人や内容がある事をとめどなく話せる人もいるにはいますよ。
しかし、最初っからその状態になることなんて出来るわけない。地道な積み重ねをして初めてそこに到達できる可能性に近づくだけ…。

そして、忘れがちなのがあなたが日本語でどれだけ話せるかという事。日本語で早口で話そうとも、とめどなく言葉が溢れてきて止まらないという人はそんな多くないはずです。
なのに、英語になるとそれが目標になるとしたらそんな変な事はない。出来ないものは出来ない、割り切りましょうよ。そんな努力しても、時間が勿体ない。

余計な努力は捨てて、落ち着いて言葉を選びながら話す術を身につける方にシフトした方が良い人も多い。そう思いますね。

それに付随する繋ぎ言葉を言えば良いんですよ。

それはどういう事かといえば、日本語だと沈黙にあたり自分の心の中だけで唱えてる事を口に出せば良いんです。

えーっと。。。

うんうん。なるほどね。面白い。
ところで、それはね。。

今考えをまとめてるんだけど、、、

そんな事考えた事もなかったから、今考えを整理してる所だよ。

それは自分にはよく分からない。逆にあなたの考えを知りたい。それから私の考えを言おうと今思ったよ。

うーん。それはちょっと違うと思う。ただ、どう言語化したらいいか分からない。ただ、例えばこういう場合に、、(考えながら言う事をまとめていく)

へー。そうなんだ。初めて知った。それよく分からないから、色々聞かせて?〇〇はどういう事?

こんな感じに、いちいち言語化しているから沈黙がない場面がいかに多いのか。

まあ、話していたいなら沈黙は避ける人は多い。

反応しなければ、よく分からない人だなぁ。私と話したくないのかなぁ。とか思われるくらいかなと…。そう考えれば、円滑に話していたければそれなりの工夫が入りますよ。

そして英語話者の一つの特徴として、思いついた毎にその場で話しながら組み立てていく人の多さ。そりゃあ、沈黙の方が異質になりますよね。

時には、話している途中で、

いや、言ってたのはちょっと違うこういうことだなと気付いた。

とか話しながらまとめる人の方が多いんですよ。

沈黙してると何考えてるか分からないと思われる場合が多いので、とめどなく喋る人が多い。ただ、全て内容が濃いわけでもない。

言いながら間違えを正したり言い直しをしたりしてもさほど何も思われないし、話しながらまとめるのも日常的となります。

だから間違えたらどうしようとか。相手の反応を前もって予測して話すとかは真逆ですね。そんな人達と比べると。

しっかりまとめて綺麗な成り立ちの文章を話そうと思ったら、とめどなく話す事はハードルがグッと上がる。
かなり、頭の回転が速い人しか不可能。それを目指そうとするから出来ないと思い勝手に劣等感を抱いてしまう。

沈黙がない話し方になると、一気に難しいと感じてしまうのは英語力というよりも思考の仕方の違いでないかと疑ってみるべきです。

ペラペラ話たいのに喋れない。そう思っている日本人の中には、英語を話す人の思考の仕方と日本語を話す人の思考の仕方の違いを認識していない人も割といると思います。

そして、沈黙から察してもらえると無意識に染みついた習慣を理由もなく持ち込んでいる。急に黙っては何も分からないので不思議に思ってしまう人の配慮とか考えた事ありますかという話です。

沈黙がないとしたらどうすれば良いか考えてみてください。これは英語力とは別の話なんです。

いろんな考え方、まとまってます!

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