継続のイメージ
継続に対してどんなイメージを持っていますか?
何度か書いているのですが英語を使えるようにするには、使えるようになるまで継続して学習するのが大切です。
けれど、それこそが難しいのは事実。
毎日、英語のことだけ取り組んでいるわけではなく生活していれば色々なことがあるので当然です
これには、継続のイメージが大きく影響している
続けれない人の多くは、「継続」の定義を自分の許容範囲よりも大きく設定してしまっている可能性も高いでしょう。
そして、その「計画性」が崩れると落ち込みやすいのではと…
しかしこれって当然のことで、英語以外の事でさえも予定通りに事が進まないことなんて結構あるはずなのです。
私は昔マラソンをやっていました。
フルマラソンの完走も目指していて、それは達成しましたが、マラソンというのも練習しないと走れなくなってきます。
元選手や現役コーチなどが書いたコラムやトレーニング方法が書いてある雑誌を読んだこともあります。もちろん、その通り従って練習すればかなり良いはずなのですが実際に可能かは別です。
働いていたし現場に入って、夜勤していたこともあるから時間なんてそこまで取れない。走ろうと思っても疲れていて睡眠を優先したほうが良い時もありました。
なので、巷で言われている走る練習方法なんてずっと継続などできなかった。
しかし、結果ハーフマラソンくらいは楽に完走できるようになり最終的にはフルマラソンも可能になった。
まあ単純なこと言うと、辞めずに続けたからという事だけなんですよね。
今日は、時間がとれなかったけど昼時間に散歩するか。
今週は疲れたから週末だけ少し走り、後は睡眠を優先させよう。
こちら側の体幹が弱いから、重い物はこっちの手を意識的に使おう。
今週は練習できない。だから筋トレだけ数分毎日違う箇所をやろう。
とか、マニュアルのような走る練習ができなくても落ち込まず合間で他の関連する事を続けた。
走ってなくても、間接的に継続している。
そして、空いた日に集中して少しずつ距離を伸ばしていった。焦らず地道にやる。じゃなければ、故障してしまう……
こんな感じに、細かいことだけでも辞めずに続けてきた結果が完走に繋がった。
英語を上達させるのは、ある種マラソンと似ている。
それは急に出来るようにはならないという点と、無理したり落ち込んだりしても、殆ど意味がないというところ。しかも、逆効果にさえなり得るということ。
もちろん、英語だって真剣に使えるようになりたければ、
毎日3時間集中して聴くとかするべきなのは事実
けど、無理してまでやっても効果はそれほど上がらない。
やろうとしたことの予定が狂っただけで、落ち込むくらいなら工夫して細切れで出来るような工夫をするほうがよほど大切なのだ。
生産台数が決まっている機械でさえ、突如メンテナンスしなければいけない事はある。焦ってそれを無視すると事故る。
それは、人も同じで焦っても碌な事はない。
実際に出来る事を自分のペースで着々と積み上げていけば良いだけで、その方法は途中で変更されようが構わない。
ここを勘違いして少し予定が狂っただけで、達成できないだけで、辞めてしまう人が多いのだ。
理想は理想として持っておいて、それが出来るのであればそれは良い事。
けれど、ほんのちょっとその理想からズレただけで自分には無理と思うのだったら少し飛躍しすぎていると思う。
「ダメだ」とすぐに辞めるより、自分の中の最適解を探して選択し、その範囲内で続けていけば自分に最も適した状態で上達していく。
そして実際にその範囲内で使ってみることだ。
これは、マラソンを例に出して書いたように英語だけじゃなく色々なことに当てはまる。
最初からフルマラソンでなく、5kmその後10kmとかを実際にその都度やっていく。そういうことだ。
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