自分の価値を認める事が、肯定感につながる。
言っておきたい事がある
この世に生を受けた事は価値がある事なんだよ
という事
生まれてきただけで、奇跡的な事なんだよということ。そして、あなたの人生はあなたの物なんだよということ。
人により色んな想いがある。
その想い、そしてそれに付随する考えは、産まれて成長してきた過程で様々な経験をし育まれたもの
それにより様々な行動様式が形作られ、“個性”となる。
それぞれ違うこと。
こんなに素晴らしい事はない。
それは社会の一因としても価値となりうる。
全体的に活かされる機会は必ずある。
しかし、残念な事にその個性とやらを時として否定する人がいる。それは、相手と違うから違和感を感じ不快に感じる人がいるからだろう。
それは必ず起こる事で避けようがない。だけど、忘れてはいけない。
あなたの個性は素敵だという事。
価値という事。
「自分の価値を認める事が、肯定感につながる。」
という事だ。
その肯定感を持ってこそ、他人に違いがあってもその他人の価値を認める事ができるんだ。
これは生きていく上で、自分が楽になり相手にも寛容になる一つの鍵。
違いはあると認め、寛容になれば物の見方も広くなりそんなに細かいことなんて気にしなくなる。
やってみたい事があってもさほど騒音が気にならなくなる。
批判を言う人がいても、冷静に聞き吸収して自分の人生にプラスかどうか真に独立し考える事ができる。
新しい事を始めたくても、従来の方法から変えられない。勇気が持てず脱却できない。それは、他人の目を気にしすぎる事も一つの原因。
それは親、友達、社会で生じる人間関係によるものだろう。
そこで、考えてみて欲しい。
人には長所と短所があって完璧にできた人などいない事実を。。。
オーストラリアのクラスルームで、履歴書に自分の長所を書けない子がいた。自分に自信が持てないからなかなか長所を探せない。褒められた事も殆どないとの事だった。
彼女の母国は、伝統的な考えを持った年長者の価値観に従わなければ不快な子とみなされ、否定的な言葉を言われる状況がある。そんな国だ。自信を削がれていっていたと容易に想像できる。
言葉を選びながら思った事を言っても、届かず無視され孤独を感じ、心が荒むと叱られる。そういう事が多く自信をなくしていったらしい。
その時の先生のアドバイスは、
「あなたの短所はなに?その短所は本当はなくて、あなたの長所の裏返しなんだよ。考えてみてごらん。」との事だった。
短所だと思っている部分は人との関係性で相対的に気付いた事でしかすぎないとのこと。
そして、短所にも理由があるという事だった。それが分かれば自分にどうして自信を持てないか分かるということ。真理だとおもう。
「人には短所なんて絶対ない。みんな価値があるんだよ。」
そう自信を持って、若い人の前で説明し背中を押して締めた。
自信が持てなかった彼女は笑顔になり長所が見つかって明るくなった。
私は正直言って就活なんか大嫌い。だけど、異国の地で履歴書の書き方を教える時に若者達に熱意を持ってこう自信を持って説く先生にあって温かい気持ちになった。無駄じゃなかったなと思った。
そして、他人の価値観とやらに寛容になる事は素晴らしい。楽に生きていこうと決めた。
その為には、自分自身の肯定感をもつために自分としっかり向き合わなければいけない。そして、選んでいく責任を持つそうしたいとまた改めて思い起こした。。。
英語だってちょっと言い間違えたり、言葉が出てこなかっただけで自信をなくしたり恥ずかしがる人がいる。
他の人より出来てないと思うだけで、がっかりする人がいる。
だけど、そんな事考える時点でとても真剣に向き合っている。必ず昨日より進歩している訳だ。
自分の価値を認め肯定しなさい。そう思う。そして、自信をつけなさい。
伝える為に、自分と向き合う姿勢を持つこと。自分の価値を知ること、個に深みを持たせること。あなたを誇りなさいという事。
英語の単語、表現いくら覚えてもその姿勢なければ空っぽだ。
これは、あなただけの人生を歩む時に人に委ね空っぽになりたくなければ何をするにも同じ事に思う。
「壁を越えていこう」その気持ちを持てば他人の事を気にしたりそんなに構っていられない筈だ。そして、自分を認めればどんなふうに人から思われようが言われようがさほど大した話ではないはず…何も命なくなるわけではない。
それに、自分の価値を認め肯定する事の方が生き抜いていく上で大切なはず。
自分を見て自由を誇れる、そっちの方が良い
近頃の全体主義的な雰囲気に私は警鐘を鳴らしたい。
個性は素敵で、短所でさえも絶対に長所!私はそう思っていきたい。
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