見出し画像

英語出来ても海外で就職できません

よく聞く言葉で、

「英語出来ると海外で就職できる」

というのがあります。

それで、英語さえできればと思う人もいるでしょう。

でもそれは大きな間違え。

英語出来るだけでは海外で就職は出来ません。ただ、英語が出来れば海外で就職できる可能性ができるという話です。

“就職できる”と“就職できる可能性ができる”では大きく違う。

考えてみると、英語圏では英語が出来るのが当たり前。

日本で日本語ができるのが当たり前なのと同じ。

日本語ができるだけで、日本で就職できるかといえば分かりませんよね。

それに就職先がどこかにもよります。

ただ日本人で勘違いしている人が言う、

「英語が出来れば、海外で就職できる」は、

誰もが羨む日本より良い勤務状況の現地企業に就職できるとのニュアンスが隠されているともいえます。

と、いう事はですよ。

一般的な現地人と同じ土壌で競争するという事を意味します。

一般的な現地人程度(またはそれ以上)には語学力をあげ、そしてビザの条件をクリアして尚且つ現地人より優れている“何か”言い換えれば、あなたでなければいけない価値を懸命にアピールし認めてもらう必要があります。

“あなたでなければいけない価値”は少なくとも英語ではありません。英語は誰でも使えているのが英語圏だからそんな事は価値にはならない。

現地人で何かその人でなければいけない価値があれば、当然現地人が選ばれます。

だから魅力的なあなたでなければいけないし、それを自発的に見せて相手に好きになってもらわないと無理。

日本では、就活はレールにのった方法論に従っていればできます。しかし、欧米ではそもそも新卒一括採用の観念がないのでコネもなく尚且つ自分から積極的にアピールできていない人はずっと就職できないし仕事さえ出来ない人は沢山いるんです。

何もかもお膳立てな気持ちでは就職なんて不可能。自分から自発的に動き失敗してもへこたれず新たに何度も挑戦し自分から価値を生み出すようなベンチャー精神のようなものがなければそもそも良い会社に入るなんて難しい。

しかも良い会社に入っても向上していかなければ、いらない人材として選ばれる大変厳しいものです。変えがきく人材であれば別に要らないとサッサと判断は下されるそういう会社は多い。

現に、海外大学の卒業生は頭が優秀であればある程、勤め人は選ばず起業する人も多いのはその為なんです。

別に大学出ただけで保証されてはいないからそうなるのも当然。

だったらどうすれば海外大学を出て世間一般的に言われる優良企業に入れるかといえば、あなたの履歴書に人とは違う個性があればある程有利。

そしてそれをプレゼンできる力。目立たなければ、履歴書はそもそもみてはもらえません。そこに工夫が必要になってくる。みんなと同じでは埋もれてしまい、現地人の方がマシ。現地人でさえ埋もれれば書類さえ確認してもらえません。

じゃあ書類を目立たす事ができず、自分自身をアピール出来ない人はどうやって就職しているのか?

それはそもそも就職していない可能性もあります。起業している。

または、ニートや無職も冗談でなく沢山いる。

それ以外は、コネを作り上げているんです。元々の知り合いが多い人はその知り合いから枝を作りコネを拡大します。

ただコネを作るのは、外国人で有れば現地人より大変なのは分かりますよね。よほど外交的に振る舞い、

おっ!この人は他の人とは違うな!一緒に働くと楽しそうだな!

と好かれるのが重要。

ここら辺は、コミュニケーション力がかなり必要になってくる。英語力も一定以上はなければ難しいのではと思われます。

私は日本人だから日本人としての価値を提供できるなんて考えたら最後。日本のような働き方をしたくないと思って海外脱出したはずなのに、場所を変えて日本と同じ働き方を沢山する人さえいます。そして、海外ではウケない精神論的な概念を持ち込みブラック企業の誕生に貢献する事になる。

じゃあ海外である必要がありますか?日本の方が楽ですよ?と思いたくもなってしまう状況の人は沢山いそうです。

そもそも海外に行けば自分の状況がよくなるのではと考えているような他力本願の考えでは到底海外でうまく渡っていけません。

自発的に自分を変え、自分から価値を作り出していくそれだけの気力がいる。そのツールとして英語を使うということだけ。

そもそも英語は必要十分条件ではないんです。

英語 プラス

自身の魅力、価値、自発的な姿勢

それに、どの場所でどれだけ自分を好きになってもらえるかも理解していないといけない

それには英語力がいるのかな?とも思える。

ただ英語を暗記しそのフレーズを口に出しているだけでは、英語を使っているとは言えない。機械と同じなので流動性を求める海外の場所では必要ではないとみなされる。それが現実なんです。

沢山稼げても、物価も高いから自分の幸せの定義が明確でなければ海外にいても幸せを感じない可能性も高い。

場所ではなくあなた自身なんです。
英語よりも先にあなた自身の考えなんです。

日本で決められた価値観を押し付けるような社会や教育に馴染む真面目な優等生では自発的でなくなる気付けばポンコツなバカになる可能性も高い。

例えば、今ある常識が定まらないもので多様な考えがありどれが正しいという正解がない。そもそも分かりあえないのが当たり前の環境で自分がどう生きるか選ぶ必要があるのならどうすれば良いだろうか。

沢山の価値観に触れると、今ある常識や価値観はもしかしたら間違えなのかもしれない。だったら自分がどう生きていけばいいんだろうか?そういう考えにもなります。自由なんですよそれは。

世界には本当に色んな考えが溢れている。それをなんのバイアスも通さずに感じ取る事が出来るツールが英語である。そういう考え方をするのが真っ当ではないでしょうか。

そして、対面になった時自分の言葉で世界中の人と意思の交換ができる。そのきっかけとなります。

あくまで“きっかけ”

言ってしまえば黙っていて伝わるコミュニケーションもあるからです。非言語コミュニケーションというもの。

語学を操れるとその言葉を話す時のその土地の空気感を感じる土壌に上がれるんです。

人は同じものを共有する事で安心する性質があるのでそれが英語となる。そんな場が多いそれだけなんです。

ただ文法や単語や表現を暗記して口から発する。それはコミュニケーションではない。

あなた自身の空気感を作り自発的に声を発する。それが一体感を得るための一つの武器となります。

英語が出来るとはどういう事か?
それだけで良い状況になるとは思えないはずです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?