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本当に怖いのか?

人の感情や感覚って人それぞれなんですよね。

それは、遺伝子レベルから違う。それにどんな環境で育ってきたか、どんな経験をしてきたかでも全く違う。

だから、「怖い」と思ってもそれが本当に怖いのかは決められません。

外国人を前にして、怖いと言う人がたまにいる。

けど、それって 本当に怖いのか? 

私は、オーストラリアに住んでいた時に、オーストラリア人の女性は全体的に日本人女性と比べると怖いと思っていました。けれど、それは事実ではないとも思っている。

基準なんていくらでも変わるから。

自分で判断し、意見を言い。それを主張する。

それがなぜ怖いのだろうか?

自分の意見が正しいと思っていて伝えたいから主張しているだけで、別に押し付けてる訳ではない。日本人ほど同調を重んじていない。人は人と思っている人が大半だから…

向こう側から見たら、

何を考えているんだろう?
なんで何も言わないんだろう?
喋るの下手なのかな?

程度にしか思えないだろう。

事実、私は日本人に対してそう思っている現地人から話を聞いたことがある。

だから、意見を主張するだけで「怖い」とか判断して、

「外人は怖いよね〜」

とか言ってる人がいると、全く謎な理屈だと思う。

正直、考え方の狭さ、そして見てる世界の狭さがよく分かる。

ま、それかなんも考えてなくて適当に言ってるんだろうなと。感情を基に。

けど、最初に書いたように感情なんてものは個人の感覚なのでまあ勝手な判断をしているって訳。

はっきり言っておけば、英語圏では自分で考えず意見を明確にもせず主張しない人は、いないのと同じ。

何かにつけ後回しにされ、不利に扱われ時に利用される。

しかし、それは真理なのではないだろうか…。

場合場合で判断し、思っていることを言うことは何もおかしなことではあるまい。と、いうかそうでなければ理解されないことの方が多い。多国籍人がごっちゃな場所では…。

感情ベースで人を判断するのは失敗しやすい。

様々な価値観に触れ、物を読み教養をつけ直感を磨く。感情なんてものは、基準が人によって曖昧そう思っておいた方が良い。

コミュニケーションする時、相手がなんでそういう態度を取るのか何でそう言ってるのか理解し受け止めるには、それなりの器がいる。

自分の価値観だけで決めつけると、ズレていく。分からないものは分からないとし、尋ねるべきだ。人の性格を感情だけで決めつけるなんて失礼に当たるはずだ。「怖い」もその例のひとつ。

だから特に、自分以外の他人の感情を聞いてすぐにそのまま受け取ってはいけない。あくまで総合的に見ないと変。その人に合わないだけで嫌いなだけで言ってたとしたらおかしな事になる。

「外人が怖い」とか言ってる人をたまに見かけると思うことだ。

それは本当なのか?または違うのか?


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