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論文より小説の方が難しい

私は日本で生まれた、日本育ちです。日本で学校に通い仕事していました。

中学校から義務教育で英語を学び、学部は材料機能工学というものを専攻した理系人間です。学生時代は、技術を元にベンチャーを立ち上げようというプロジェクトに自分から名乗り出て参画しました。ものづくりやビジネスに興味があったからです。
今でも、その土台は変わらず科学の話や1から何か価値を創造するそんな話が好きなのは変わりません。

なので、まあ根っからの理系人間なのは変わりません。
今でも、学術的な論文などの文章を読むのも苦じゃないし好きですね。

昔よりも、ずっと文章を読む速度がはやくなった今でも感じる事があります。

それは、学術論文や専門的な文章よりも小説の方がよほど難しいという事です。

しかし、当時から英語の論文や専門的な文章に一種のハードルを感じている人が多いと感じていました。それは、とても残念な事です。

これは、受験制度やカリキュラム自体の問題もありそうですが英語への苦手意識から文系ではなく理系を選ぶという的外れな人間もいた。

英語に対する一種の苦手意識から、英語論文や学術的文章を避ける人が一定層いるという状態に驚いたものです。

しかし、科学には国境などない。共通言語は、最も簡潔で伝え易い英語を使うんです。それは、事実。

世界で議論されている話題にタイムリーに触れる事を避けていれば、既に出ている参考になりそうな内容でさえも見逃し時間の無駄となる検討に時間を倍使う事を意味します。

理系の特に開発分野では、多額の予算を使う。理系人間が英語論文を避けたり苦手意識を持つ事は何を意味するのだろうか。社会的な不利益である事には間違いない話です。

理系こそ、英語コンプをなくして欲しいし英語など簡単と思って欲しい。そうあるべきです。

英語を簡単な文章から理解したい。そう思えば、論文でさえも最適な文章と私は考える。

なぜなら、論文というだけあって順序立てて簡潔にわかりやすく結論を述べている。説明も図やグラフ付きで示されていて、文章だけよりも付随した情報が多い事を意味する。

受験英語を読めたはずの人間が、論文を読む事にアレルギーがあるとしたら、それはとても変な事だ。
そして国際学会に出る事が目標になると急いで英会話教室に通ったり、突然リスニングと称してお話のようなものを聞いたり、中には小説のようなものなどを読み始める人もいる。バカかと思ってしまう。

そんな事をするくらいなら、最初から英語の論文を読み専門的ディスカッションを聞け。そう思うからだ。ただの笑い話にしか思えなかった。

今の状況を見ると、そんなに当時と比べて大きくは変わっていない事は見てて明らかに感じる。

目の前に、良質な教材がある。尚且つ、しょっちゅう使う単語が多用されているのにも関わらず自分の目的やレベルに合わない的外れな事をして時間の浪費をしている。
現に、外国人に質問をされても殆どがかけた時間に比例していない、努力に見合わない滑稽な回答をしている人がとても多い。
時間を浪費した分に全く見合っていない。

まずは、今やっている分野のものから吸収するのが一石二鳥。そして、それ以外の時間が空いて初めて他のものに手を伸ばすべきだ。

参考書ばかり買って、どれもしっかり身についていない人に似ていると思う。

なんで、学術的な文章であると難しいと考える人がいるのだろうか?

おそらくは、英単語が日常生活に溢れているカタカナ英語とはかけ離れているし、目に触れないものが多いからも原因としてあると思う。

しかし、自分の知りたい分野(研究分野)
がある人は読んでいれば分かると思うが、繰り返し似通った英単語が登場する事に気づくと思う。

私が取り組んでいた、結晶構造や工学的内容、光科学や量子学的な内容でも難しいと感じるのは最初だけで何度もいろんなのを読んでいるとみた事がある英単語が繰り返し登場する。そんな感じだった。
慣れるまでは、分からない単語が多くても数が増えていると見た事ばかりの単語になる。文章も至って単純で、タイム誌のような記事やニュース、そして小説よりもよほど分かり易いと感じたものだ。

ただ、そこまで熱中して読むよりも前に諦めてしまう人がいかに多い事か。そう感じていた。そして、すぐに一般的に広がっている教材に手を伸ばす不思議。やる事がぶれている。

きっと、この教材はいいとかいう一般的な情報に翻弄されている。人によって時間をかけるべき場所は違うだろう……

時間は有限でいくらでもある訳ではない。
何か知りたい情報がある場合は、学術的文章や論文を読めば情報も手に入り尚且つ文章も単純なのだから、そちらの方にシフトすべき人も多い。

論文より小説の方が難しい。

小説には、文化的背景がないと分からない箇所や比喩、隠喩などなど数えればいとまがない。文法や熟語も難易度が高い。

しかし、専門的な議論は共通の話題がある。ゆえに、共通的な書き方や単語が用いられる。そして、それに加えて書き方もすごく単純だ。

それに気づくより先に、やめてしまっている理系人間がいるとしたら、考え直すべきと思い今日はこの文章を書いた。

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